今日は葉巻の話ではありません。
コロナ禍をきっかけに、私がお金との向き合い方を考えた話です。
「お金とは何ですか?」
そう聞かれたら、昔の私はこう答えていました。
「何にでも交換できる代替貨幣。」
いつでも。
どこでも。
欲しいものに交換できる。
それがお金だと思っていました。
しかし、その考えはコロナ禍で変わりました。
お金があっても、物がありませんでした。
買えませんでした。
届きませんでした。
その時、初めて気付きました。
お金は万能ではない。
平時だからこそ価値を持つものなのだと。
それから私は、お金との向き合い方を考え直しました。
私にとってお金は、安心感を得るための材料です。
老後。
病気。
働けなくなった時。
そういった未来への備えとして、お金を持つことには意味があります。
だから私は、将来のために積み立てもしていました。
でも、ある時ふと思ったのです。
「私は、いつ使うために貯めているのだろう。」
本来、お金は使うためにあります。
それなのに、気付けば使うためではなく、貯めるために貯めているような感覚になっていました。
もちろん、貯金を否定するつもりはありません。
将来への備えは大切です。
でも、それが目的になってしまった時。
私は少し違和感を覚えました。
周りより多いか。
平均より多いか。
そうやって数字だけを追いかけることが、本当に自分の幸せなのだろうか。
私には答えが分かりません。
ただ、一つだけ確かなことがあります。
お金は持っているだけでは価値を生みません。
交換して初めて価値になります。
その交換先が、私にとっては葉巻でした。
もちろん、資産という意味では浪費かもしれません。
でも、私が交換しているのは葉巻ではありません。
葉巻を吸う時間。
考える時間。
記事を書く時間。
そして、人生の満足です。
だから私は、お金を減らしている感覚はありません。
満足へ交換しているだけなのです。
……とは言え。
老後資金を葉巻へ交換し始めたら、誰か止めてください。

コメント