節約とは今を我慢することではない|将来の安心と日常の満足を両立する

人生満足化

今日、私は葉巻に2,050円使った。

900円、200円、100円、250円、そして600円。

この一日だけを切り取れば、節約について語る人間の行動には見えないかもしれない。

しかし、私は一日の支出だけを見て「使いすぎた」「節約できなかった」とは判断しない。

現在は、私の人生において数少ない休養期間である。仕事をしていない以上、収入はない。だからこそ支出には気をつける必要がある。

その一方で、今は精神を休ませ、日常の満足度を取り戻すための時間でもある。

将来のために金を残すことは大切だ。

だが、将来のために現在の生活を薄くしすぎれば、何のために生きているのか分からなくなる。

私にとっての節約とは、単純に金を使わないことではない。

将来の自分が安心できる余白を残しながら、現在の自分もきちんと満足させること。

その両方を成立させるための調整が、私にとっての節約である。

なぜ将来への備えが必要なのか

私はこれから、比較的給料の低い職業へ就く可能性が高い。

仮に大卒の22歳から64歳まで、年収300万円のまま厚生年金へ加入して働き続けた場合、65歳から受け取れる年金は月約12万6,000円という試算になった。

現在の制度では、老齢基礎年金の満額が月70,608円。そこへ、現役時代の報酬と加入期間に応じた老齢厚生年金が加わる。厚生年金の報酬比例部分は、平均標準報酬額と加入月数を基礎に計算されるため、給料が低いままなら、受け取る年金も大きくは増えない。

月12万6,000円あれば、生活できないとは思わない。

家賃を抑え、生活水準を調整すれば、暮らしていく方法はあるだろう。

しかし、そこに十分な安心があるかと聞かれれば、話は別だ。

病気や介護、家電の故障、引っ越し、住居の修繕。生活していれば、予定していなかった大きな支出が発生する。

毎月の生活費だけで年金をほぼ使い切る状態では、一度の出費がそのまま不安につながる。

また、月12万6,000円という金額も、現在の制度や物価を前提にした試算にすぎない。公的年金には、現役人口や賃金、物価などに合わせて給付水準を調整する仕組みがあり、将来の水準についても複数の経済前提で検証されている。

だからといって、年金制度がなくなると決めつけたいわけではない。

ただ、数十年後の自分の生活を、国の制度だけにすべて委ねるのは不安である。

私が備えたいのは、老後に豪華な生活をするためではない。

突然の出費があっても慌てず、食べたいものを食べ、好きなことを完全には諦めずに済む程度の余白が欲しい。

その余白が、将来の自分にとっての安心になる。

一方で、老後の安心を求めるあまり、現在の生活を我慢だけで埋めるつもりもない。

若いうちから支出を極限まで減らし、その分を投資へ回せば、複利の恩恵は大きくなる。

それが合理的なのは分かっている。

しかし、将来のために現在の満足を削り続け、ようやく金を使える年齢になったとき、健康や興味が残っているとは限らない。

だから私は、将来の安心を作りながら、現在の自分も満足させたい。

どちらか一方を最大化するのではなく、将来に不安を残しすぎず、今日もつまらなくしない。

その中間を探すことが、私にとっての節約である。

支出は一日ではなく、期間で判断する

今日、私が葉巻に使った金額は2,050円だった。

一日分の娯楽費として見れば、決して少なくはない。

これを毎日続ければ、30日で6万円を超える。
その金額だけを見れば、「使いすぎではないか」と思うのも当然だろう。

しかし、私は一日の支出だけを切り取って、節約できたかどうかを判断しない。

支出には波がある。

何も欲しくなくて、ほとんど金を使わない日もある。
反対に、趣味を一日中楽しみ、普段より多く使う日もある。

一日ごとの金額を厳しく制限すると、使わなかった日の余裕を、使いたい日に回せなくなる。

それでは節約というより、毎日同じ金額に収めるための管理になってしまう。

私が普段の生活費を見るときは、おおむね一か月から三か月程度の期間で考える。

ある日に多く使っても、その後に使わない日が続き、期間全体で使える範囲に収まっているなら、大きな問題とは考えない。

家電の買い替えや引っ越しなど、突然発生する大きな支出については、さらに長く、一年単位で見ることもある。

一万円使った日だけを見れば大きな出費でも、数年間使う物を購入したのなら、その一日だけで浪費と判断することはできない。

反対に、一回あたりは数百円でも、満足しないまま毎日のように繰り返していれば、長い目では大きな無駄になる。

大切なのは、その瞬間の金額だけではなく、

どの程度の期間で、いくら使い、何が残ったのか。

そこまで含めて考えることだと思う。

現在の私は、仕事を辞めてから次の生活へ移るまでの、人生でも数少ない休養期間にいる。

収入がない以上、際限なく使ってよいわけではない。

一方で、この期間まで会社員生活と同じように切り詰め、何もせず過ごすのも違う。

今は精神を休ませ、自分が何を楽しめるのかを確かめ、次の生活へ向かうための時間でもある。

そのため、普段より葉巻を多く吸い、趣味に時間と金を使うことについては、ある程度許容している。

今日の2,050円だけを見れば使いすぎに見える。

だが、この休養期間全体で見たとき、それが自分の精神を安定させ、満足した時間を作るために役立っているなら、単純な浪費とは考えない。

もちろん、「休養期間だから」という言葉を、すべての支出を正当化する免罪符にしてはいけない。

満足していないのに惰性で使った金まで、必要経費だったことにはできない。

だから私は、安全に生活するための余剰資金を先に確保する。

そのうえで使える金額を決め、その範囲では使う。

今は使いたくないと思えば残し、本当に使いたいときへ回す。

毎日同じ金額を使う必要もなければ、使える金を無理に使い切る必要もない。

節約とは、一日ごとの支出を小さくする競争ではない。

将来の安心を壊さない範囲で、使いたい日に使える余白を残しておくこと。

その余白があるからこそ、使った日にも後悔せず、使わなかった日にも我慢したとは感じずに済む。

私にとって家計管理とは、毎日を均一に縛ることではなく、時間をまたいで満足を移動させることなのである。

安い物を買うことと、節約は同じではない

私は基本的に、どんな物でも満足度を高めながら、なるべく安く済ませたいと考えている。

ただし、単純に最も安い物を選べばよいわけではない。

価格が安くても、満足できずに別の物を買い直せば、最初に使った金は無駄になる。反対に、多少高くても長く使えたり、一度で十分に満足できたりするなら、結果的には安く済むこともある。

私が見ているのは、値札の小ささではない。

支払った金額に対して、どれだけの満足が残ったか。

今日吸った葉巻にも、それがよく表れていた。

最初に吸った葉巻は一本900円だった。

この葉巻については、[ホヤ・デ・ニカラグア クラシコ セレクションBのレビュー]で詳しく書いている。

リンク先:

ホヤ・デ・ニカラグア クラシコ セレクションBをレビュー|不味くない。でも進路が見つからない。
ホヤ・デ・ニカラグア クラシコ セレクションBを実煙レビュー。ウッディと白胡椒、淡い甘みを持つ一方、変化は少なく終盤は苦味が強まった。900円の価値、読書適性、再購入判断を正直にまとめます。

決して不味くはない。作りも極端に悪いわけではなく、淡い甘みもあった。

しかし、味わいは薄く、吸い終わったあとに「また吸いたい」とは思えなかった。

その後、口直しとして一本200円のキースを吸った。

複雑な感想はない。

ただ、吸った瞬間に「うまい」と思った。

価格は4分の1以下である。それでも、その瞬間の満足度は200円のキースのほうが高かった。

だからといって、安いキースだけを何本も吸えば節約になるわけではない。

一本200円でも、五本吸えば1,000円になる。

味が分からなくなったあとまで惰性で吸い続ければ、一回あたりは安くても、その支出から得られる満足は小さくなる。

重要なのは、安いか高いかではなく、

その支出によって、自分が本当に満足したか。

という点である。

私にとって、キースやトスカネロは、少ない金額で比較的長く楽しめる葉巻である。

もう少し太い葉巻を、時間をかけて吸いたいときにはFactory Smokesがある。

ナッツ感のある別の味を求めるなら、アロマデニカを選ぶ。

それぞれ価格も味も違うが、自分の中では役割が決まっている。

安い葉巻だから我慢して吸うのではない。

自分が満足できる物の中から、できるだけ安い選択肢を見つけている。

この順番は大切だと思う。

最初に価格だけを見て、その中から満足できそうな物を探すのではない。

まず、自分が何に満足するのかを知る。

そのうえで、同じ満足をより安く得られる方法を探す。

食事でも、酒でも、衣服でも、家電でも同じである。

高級品だから満足できるとは限らない。安い物だから質が低いとも限らない。

他人の評価や価格帯ではなく、自分が実際に使ったときの満足度を基準にする。

そのためには、失敗することもある。

900円を払って、自分には合わないと分かる日もある。

しかし、その経験によって「自分は何を求めているのか」が分かれば、次から同じ種類の支出を減らせる。

一度の失敗を完全な無駄として切り捨てるのではなく、今後の選択を安くするための情報として残す。

そう考えれば、節約とは単なる我慢ではなく、自分の満足の仕組みを理解する作業でもある。

私は高い物を否定したいわけではない。

高い物にしかない満足があり、それを本当に求めているなら、払えばよい。

ただ、200円で十分に満足できる日に、900円を払う必要はない。

逆に、900円を払っても満足できない物を、安いからという理由だけで繰り返し買う必要もない。

満足を先に決め、価格はそのあとに下げる。

それが、私にとって最も無理のない節約である。

満足が増えないなら、そこで使うのをやめる

安く満足できる物を見つけても、それだけで節約が完成するわけではない。

もう一つ必要なのは、満足が増えなくなったところで止めることである。

今日、私は何本か葉巻を続けて吸った。

最初のうちは、それぞれの味を楽しめていた。

しかし、途中から葉巻の香りが弱く感じられるようになった。

食事の味は分かる。甘味や塩味が消えたわけでもない。

ただ、葉巻の味わいを大きく左右する、鼻へ抜ける香りが取りにくくなっていた。

こうなると、さらに葉巻を吸っても、満足はほとんど増えない。

一本600円の葉巻を吸っても、感じ取れる味が半分以下なら、得られる満足も小さくなる。

それでも「せっかく火をつけたから」「今日は吸いたい気分だから」と続ければ、葉巻の本数だけが増えていく。

金は使っている。

時間も使っている。

しかし、満足は増えていない。

これは、単価が安くても節約とは言いにくい。

味覚が閉店したら、財布も閉店する。

少し乱暴な言い方だが、趣味の支出には、このくらい分かりやすい停止条件があったほうがよいと思う。

食事でも同じである。

腹が満たされ、味にも慣れたあとで、惰性でもう一品注文しても、最初の一皿ほどの満足は得られない。

酒も、酔いが回って味が分からなくなったあとに高い物を飲んでも、その価値を十分には受け取れない。

買い物でも、欲しい物を一つ買って満足したあとに、ついでだからと別の商品まで追加すれば、後から残るのは満足より請求額かもしれない。

支出には、満足が大きく増える部分と、ほとんど増えない部分がある。

最初の500円で大きく満足できても、次の500円で得られる満足は小さいことがある。

その小さくなった部分を見逃さない。

これが、我慢を増やさずに支出を減らす方法だと思う。

私は、好きな物を禁止したいわけではない。

吸いたい葉巻を我慢し続ければ、日常の満足度は下がる。

しかし、味が分からないのに吸い続ける必要もない。

欲しいときには使う。

満足できる間は楽しむ。

そして、満足が増えなくなったら止める。

この区切りがつけば、節約は「何もするな」という命令ではなくなる。

楽しむことを減らすのではなく、楽しめていない部分だけを減らす。

それなら、現在の満足度を守りながら、将来へ回す金も残すことができる。

節約で削るべきなのは、喜びではない。

満足へつながっていない支出なのである。

使う物を、買えるうちに備えておく

節約というと、買わないことばかりが注目される。

しかし、将来も使う可能性が高い物を、条件のよいうちに確保しておくことも、節約の一つだと思う。

たとえば葉巻は、為替や税制、海外の販売価格によって、同じ商品でも購入時期によって支払額が大きく変わる。

今は安く買える物が、数年後にも同じ価格で手に入るとは限らない。

だから私は、日常的に吸うことが分かっている葉巻については、安いセールが来たときにまとめて買うことを考えている。

これは、未知の葉巻を安さだけで大量購入することとは違う。

好みに合うか分からない物を50本買えば、単価は安くても、吸いたくない在庫が残る。

それでは節約ではない。

私が備えたいのは、すでに何度も吸い、自分が満足できると分かっている物である。

キースやトスカネロは、少ない金額で時間をかけて楽しみたいときに使える。

太い葉巻を一本ゆっくり吸いたいなら、Factory Smokesがある。

少し違う味を求めるときには、アロマデニカがある。

自分の中で役割が決まっており、今後も使う可能性が高い。

それなら、価格が上がってから一本ずつ買うより、安く買える間に一定量を確保しておくほうが、将来の支出を抑えられる。

言い換えれば、これは未来の生活費の一部を、現在の価格で先払いしているようなものだ。

もちろん、まとめ買いをすれば必ず節約になるわけではない。

在庫が多い安心感から吸う本数が増えれば、単価が下がっても総支出は増える。

保管場所や加湿用品にも金がかかる。

好みが変わる可能性もあれば、途中で趣味そのものに飽きる可能性もある。

そして何より、買った金は在庫へ変わる。

必要なときに使える現金ではなくなる。

そのため、備蓄する前には少なくとも、

今後も使う可能性が高いか。
安くなった分以上に消費量が増えないか。
保管できるか。
生活に必要な現金を減らしすぎないか。

を考える必要がある。

この条件を満たすなら、まとめ買いは単なる浪費ではない。

将来の値上がりに備えながら、自分の楽しみを残しておく方法になる。

老後資金を作ることだけが、未来への備えではない。

将来も続けたい生活を、無理のない価格で維持できるように準備することも、備えの一つである。

ただし、ここで一つ問題がある。

「どうせ使う物だから、安いうちに買っておこう」

この言葉は、非常に便利である。

便利すぎて、あらゆる買い物を正当化できてしまう。

節約のために買う。

将来に備えて買う。

値上がりする前に買う。

そうして気づけば、節約について考える前より、葉巻の保管庫が増えているかもしれない。

だから私に必要なのは、買わないという一律の禁止ではない。

何を、どの程度まで持てば十分なのかを、買う前に決めておくこと。

買えるうちに備える

しかし、買えるだけ買うわけではない

この違いを見失わないことが、備蓄を節約として成立させる条件なのだと思う。

私にとっての節約とは何か

ここまで考えてみると、私にとっての節約は、単純に支出を減らすことではない。

安い物だけを選ぶことでもない。

欲しい物を我慢し続けることでもない。

私が残したいのは、金そのものではなく、将来の自分が不安に追われずに暮らせる安心感である。

国の年金制度や社会保障が、今と同じ形のまま数十年後まで続くとは限らない。

仮に年収300万円で22歳から64歳まで働き続けても、65歳から受け取れる年金の試算は月約12万6,000円だった。

その金額でも、生活水準を調整すれば暮らしてはいけるだろう。

しかし、病気や介護、家電の故障、引っ越しなど、突然の出費まで含めて安心して暮らせるかといえば、余裕は大きくない。

だから、若いうちから金を残し、投資による複利の恩恵を受けることには意味がある。

ただし、私は老後だけのために、現在の生活を我慢で埋めたいわけでもない。

今の自分には、今しか楽しめない時間がある。

体力があるうちに楽しめる趣味もあれば、興味そのものがいつまで続くか分からない物もある。

老後に十分な金が残っていても、使いたいと思える体力や気力が残っていなければ、現在を削り続けた意味が分からなくなる。

だから私は、将来と現在のどちらか一方を選ばない。

安全に生活できる余剰資金を確保する。

将来のための資産も作る。

そのうえで、使える範囲の金は、現在の満足のために使う。

使いたくないときは残し、使いたいときへ回す。

一日の支出だけで自分を責めず、一か月、三か月、必要なら一年という長さで判断する。

高い物だから良いとは考えず、安い物だから節約とも考えない。

自分が何に満足するのかを知り、その満足をなるべく安く得る。

そして、満足が増えなくなったら、そこで使うのをやめる。

将来の安心を減らさず、現在の満足も減らさない。

完全に両立させることは難しい。

それでも、どちらかを犠牲にするのではなく、その都度ちょうどよい位置を探す。

それが、私にとっての節約である。

最後に

今日、私は葉巻に2,050円使った。

900円の葉巻を吸い、200円の葉巻で口直しをし、その後も何本か吸った。

最後には鼻が疲れ、葉巻の味がよく分からなくなった。

節約について考えるには、実に説得力のない一日である。

しかし、900円より200円の葉巻に満足できることを知り、味が分からなくなれば吸っても満足は増えないことも分かった。

さらに、将来も吸う葉巻なら、値上がりする前にまとめて買うほうが節約になる可能性もある。

こうして真剣に節約を考えた結果、私は葉巻を減らすのではなく、安いうちに大量に買うことを検討している。

どうやら節約とは、金を使わないことではないらしい。

少なくとも、私の場合は。

ただ一つ確かなのは、

買う前には価格を見ろ。
買った後は忘れろ。
味が分からなくなったら、財布も閉じろ。

ということである。

それでもセールが来たら、恐らく買う。

節約とは、本当に難しい。

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