『六花の勇者』で一番最初に惹かれたのは、やはり設定だった。
世界を救うために選ばれる勇者は6人。
なのに集まったのは7人。
たったこれだけで面白い。
ファンタジーなのに、始まるのは「この中に偽物がいる」という犯人探しだ。
しかも厄介なのは、一度偽物を見つければ終わりではないこと。
「これで6人になった」
と思ったところで、また人数がおかしくなる。
じゃあ今度は誰なんだ?
一度疑いが晴れたはずの仲間を、もう一度最初から疑わなければならない。
この安心させてから再び突き落とす構造が、『六花の勇者』の面白さだった。
6人のはずなのに7人いる
最初の「七人目探し」は非常に分かりやすい。
誰か一人が偽物。
なら、その一人を見つければいい。
普通ならそう考える。
ところが『六花の勇者』は、その単純なルールを何度も信用できなくしてくる。
誰かの怪しい言動を見ても、
「本当に怪しいのか?」
「怪しく見えるように振る舞っているだけでは?」
「逆に、疑われない人間こそ怪しいのでは?」
と、いくらでも考えられてしまう。
特にハンスは印象に残っている。
もともと疑い深い性格で、立場上、人を簡単には信用しない。
だから怪しい。
しかし、その疑い深さが自然な人物だからこそ、
「これは本当の性格なのか、それとも正体を隠すための演技なのか?」
と余計に分からなくなる。
怪しい人物がそのまま犯人なら簡単だ。
怪しいことに理由がある人物を混ぜるから、誰を疑えばいいのか分からなくなる。
この作品は、そこがうまい。
ナッシェタニアという「姫」の裏切り
ナッシェタニアも強く印象に残っている。
最初から少しお転婆な姫ではある。
ただ、「お転婆な姫」というだけなら珍しい設定ではない。
問題はその先だった。
姫なのに、そこまでやるのか。
というところまで行く。
姫という肩書きには、自然と一定の信用が付いてくる。
守られて育った高貴な人物。
行儀がいいか、逆に自由奔放なお転婆か。
多少型破りでも、どこかで「姫」という枠の中に収まっていると思ってしまう。
ところがナッシェタニアは、そのイメージ自体を覆してくる。
しかも、彼女を身近で見てきたゴルドフが本気で信頼している。
身内ともいえる人物があれだけ信じているなら、読者としても疑いにくい。
だから正体が見えたとき、
「そこまで周囲を騙していたのか」
という怖さが出てくる。
姫という立場に守られているというより、その立場まで利用しているように見えた。
一番恐ろしかったのはテグネウ
しかし、作品全体を振り返って最も気持ち悪い敵はテグネウだった。
こいつは単純に強いだけではない。
人間の考え方や感情そのものを利用する。
しかもそれを、戦術として使うだけならまだ分かる。
人間が壊れていく様子そのものを楽しんでいる。
そこが虫唾が走る。
虫だけに。
特に強烈だったのが、アドレットとフレミーの関係だ。
アドレット自身は、自分が抱いている感情を偽物だとは思っていない。
フレミーを大切に思う。
守りたいと思う。
そのために行動する。
本人にとっては、間違いなく実際に感じていた気持ちだ。
ところが、その感情に外部からの操作が入っていたと分かる。
そして元に戻れば、その気持ちまで消えてしまう。
これは単純に、
「偽物の恋でした」
という話ではないと思う。
偽物だったとしても、本人には本物だった
本人には分からないのだ。
自分の認知が外部から書き換えられているなんて。
本人は本気で愛して、本気で守ろうとしていた。
だから、その時間の中で起きた出来事まで偽物になるわけではない。
さらに辛いのはフレミーだ。
アドレットの気持ちを受け取り、それを支えにして生き延びてきた部分がある。
つまり、一方だけの問題ではない。
アドレットにとって本物だった。
フレミーにとっても、その愛情を受け取った時間は本物だった。
なのに後から、
「その感情には仕掛けがありました」
と突きつけられる。
そしてアドレットの気持ちは消える。
あれだけ一生守るような勢いだった相手を、何とも思わなくなってしまう。
これはあまりにも空しい。
人間の感情は、どこから生まれたら「自分のもの」なのか。
外から作られた感情でも、本人が本当に感じていたなら、それは偽物なのか。
答えは簡単ではない。
ただ確かなのは、その状況を作り、人間がそうなる様子を楽しんでいたテグネウが最低だということだ。
敵を倒した。それでも勝利なのか?
テグネウを倒したこと自体は、人類側から見れば勝利だろう。
強大な敵を一つ排除した。
目的には確実に近づいている。
しかし、その戦いに参加した本人たちから見て、
本当にあれを「勝った」と呼べるのか。
疑問が残る。
傷が大きすぎる。
仲間同士で疑い合った。
場合によっては殺し合わなければならなかった。
誰が味方なのか分からない状態が続いた。
そしてアドレットとフレミーの関係まで壊された。
敵を倒したのに、敵から受けた傷はそのまま残っている。
勝利したというより、
ようやく敵の遊びから抜け出した。
そんな感覚に近い。
本来なら、この先は6人で戦うはずなのに
『六花の勇者』という物語なら、本来は最後に選ばれた勇者たちが力を合わせて敵へ立ち向かうはずだ。
疑いを乗り越え、
「今度こそ本当の6人だ」
となって、全員で戦う。
王道なら、そこに大きなカタルシスがある。
しかし、この作品ではそこへ到達するまでに傷つきすぎている。
殺し合い、疑い合った人間たちが、今度は手を取り合って戦わなければならない。
世界を救うという意味では、まだ戦わなければならない。
でも精神的には、
もうかなり負けているんじゃないか。
とも思ってしまう。
それは敵が強かったからだ。
戦闘力だけではない。
人間の性格を読み、思考を読み、感情を利用し、仲間同士の関係まで壊す。
敵の頭が良いからこそ、勇者たちはただ肉体的に傷つけられる以上の被害を受けた。
『六花の勇者』の敵は、人間そのものを攻略してくる
振り返ると、この作品の敵の怖さはここにある。
剣が強い。
魔法が強い。
そういう敵なら、さらに強くなって倒せばいい。
しかし『六花の勇者』の敵は、人間そのものを攻略してくる。
誰を信じるのか。
誰を疑うのか。
誰を愛するのか。
自分が抱いている感情は、本当に自分のものなのか。
そこまで攻撃される。
だから戦闘が終わっても傷が消えない。
むしろ、敵を倒した後になって初めて、
何を奪われたのかが分かる。
そこがこの作品のえぐさだった。
まとめ
『六花の勇者』は、
「6人のはずなのに7人いる」
という設定だけでも十分に面白い。
ファンタジーでありながら、仲間の中から偽物を探すミステリーでもある。
一人見つけたと思えば、また人数が合わない。
疑いが晴れたと思えば、再び誰かを疑わなければならない。
その緊張感が非常に強い作品だった。
しかし最後に残った印象は、謎解きそのものだけではない。
敵を倒した。
人類としては前進した。
それなのに、当事者たちには大きすぎる傷が残った。
特に、本人には本物だった感情を後から偽物にされるアドレットと、それを支えに生きてきたフレミーの関係は辛い。
そして何より、それを仕掛けて人間が壊れていく様子を楽しんでいたテグネウが気持ち悪い。
勝ったはずなのに、勝利に見えない。
『六花の勇者』で一番印象に残っているのは、そんな後味だった。


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