『六人の嘘つきな大学生』|人間は分からない。だから悪い面だけで決めつけない

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※この記事は『六人の嘘つきな大学生』の内容に触れています。

『六人の嘘つきな大学生』を振り返って、最初に思い浮かぶのは就活の苦しさだった。

学生生活というと、どこか楽しさや自由さを連想する。

しかし就職活動が始まると、その景色が一気に変わる。

会社に入ってからようやく社会人としてのスタートラインに立つはずなのに、その会社へ入る前から、すでに社会の戦争が始まっているように感じる。

限られた椅子を争い、自分を評価してもらい、他人よりも「採用する価値がある」と判断されなければならない。

しかも、その判断材料になるのは面接やエントリーシートといった、ごく限られた情報だ。


六人の嘘つきな大学生 (角川文庫)[ 浅倉 秋成 ]

面接で人間なんて分かるのだろうか

会社が人を選ぶこと自体は仕方がないと思う。

会社からすれば、できることなら成果を出してくれる人を採用したい。

何かに向かって努力してきた経験があるなら、

「この人は物事にある程度の熱量を向けられる」

という評価材料にはなるだろう。

ただ、その情熱を仕事にも同じように向けてくれるかは分からない。

そもそも、面接だけでその人が会社で成果を出せるかなんて、本当に判断できるのだろうか。

実際の仕事には本人の能力だけではなく、配属、上司、仕事内容、景気、タイミング、運など、さまざまなものが関わってくる。

面接官ができることは、その人の本質を見抜くことではなく、

「この会社でやっていけそうか」

「大きな問題を起こす可能性は低そうか」

「必要なときに努力できそうか」

そのくらいを推測することなのかもしれない。

就活で自分を良く見せるのは嘘なのか

就職活動では、当然ながら自分を良く見せようとする。

自分の長所を強調する。

不利な部分はあえて話さない。

相手に伝わりやすい表現を選ぶ。

自分は、これらすべてを嘘だとは思わない。

あとから実態を知った人が、

「まあ、その表現なら分かる」

と納得できる程度なら、それは一つのテクニックだと思う。

ただし、実際の自分とかけ離れすぎたことを言えば、それは嘘になる。

そして何を許容するかは、会社の社風によっても違うのだろう。

自己表現の上手さを評価する会社もあれば、誠実さを何より重視する会社もある。

「嘘」と「黙っていること」は同じなのか

この作品を読んでいて、「嘘つき」という言葉そのものについても少し考えた。

自分の感覚では、何かを言って、それが事実と違って初めて嘘になる。

言わないことは、どちらかといえば黙秘に近い。

人には誰にでも、他人に話したくないことがある。

まして就活では相手は競争相手でもある。

そもそも受かりたくなければ、その会社には応募していない。

全員が「内定が欲しい」という明確な目的を持っている以上、自分に不利なことを積極的に話さないのは自然なことにも思える。

だから自分には、彼らは「嘘つき」というより、

自分の不利な部分を上手に隠している人たち

に見えた。

ただ、この物語では「黙っている」という選択そのものが不利になってしまう状況が生まれる。

悪い印象を与えたくない。

内定が欲しい。

でも何かを答えなければならない。

そうなったとき、隠すことと嘘をつくことの境界も曖昧になっていく。

人間の本心なんて、結局分からない

この作品で一番強く感じたのは、結局これだった。

人間は分からない。

普段の姿すら、本当にその人のすべてなのかは分からない。

まして競争の最中なら、本音をすべて出す人の方が珍しいだろう。

そして人間は感情によっても大きく変わる。

普段は穏やかな人でも、怒っているときには別の姿になる。

追い詰められたとき。

喜んでいるとき。

悲しんでいるとき。

同じ人間でも、その時々で見える姿は変わる。

何かの事件や問題についても、一方向から話を聞いただけでは分からない。

本人。

被害を受けた人。

周囲の人。

関係者。

すべての話を聞いたとしても、それでも分からないことは残るだろう。

だから、人間を「分かった」と思うこと自体が少し怖い。

それでも人を判断しなければならない

だからといって、

「人間なんてどうせ分からない」

で終わらせるわけにもいかない。

現実では、人を判断する必要がある。

この人は信用できそうか。

一緒に働けそうか。

仲良くなれそうか。

経験則をまったく使わなければ、何も判断できなくなる。

だから自分なら、

「この人はこういう人だ」ではなく、「こういう傾向があるのかもしれない」

くらいに考える。

断定しない。

でも何も考えないわけでもない。

そのくらいがちょうどいいのではないかと思う。

悪い面は目につきやすい

人間を見るとき、ネガティブなものはとても目につきやすい。

悪い過去を一つ知っただけで、その人物のすべてが悪く見えてしまうこともある。

でも、人間にはたぶん良いところも悪いところもある。

この作品の中でも、ある行動だけを見れば悪く感じても、別の角度から見ればまったく違うものが見えてくる。

主人公の嘘についても、自分には少し「綺麗な嘘」のように感じられた。

本人が誰かを救うために美しい気持ちでついた嘘、という意味ではない。

本人の視点から見れば、決して綺麗なものではなかったと思う。

しかし物語を後から振り返ると、その嘘によって結果的に救われた人がいる。

その視点から見ると、少しだけ綺麗に見えた。

同じ出来事でも、

誰が見るのか。

いつ見るのか。

どこから見るのか。

それによって意味は変わる。

だからこそ、悪い部分だけを見て、その人すべてを決めつけないようにしたい。

人間は分からない。でも、良い面もある

『六人の嘘つきな大学生』を読んで、一番持ち帰ったものは何か。

自分なら、

人間は分からない。でも、何かしら良い面もある。

と答える。

ネガティブな部分は、意識しなくても目に入ってくる。

だからこそ、ポジティブな部分も意識して拾った方がいい。

もちろん、何をしても許せばいいという話ではない。

ただ、一つの出来事だけを見て、

「この人はこういう人間だ」

と決めつけることも違うと思う。

分からないものを、分からないまま受け入れる。

そして必要なら、少し赦す。

この本は、明確な答えが欲しい人よりも、答えが一つではないことを受け入れられる人に向いているのかもしれない。

そして、

人を赦すということについて少し考えてみたい人。

そんな人には、読んだあとにも何かが残る作品だと思う。


六人の嘘つきな大学生 (角川文庫) kindle版

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