冲方丁『マルドゥック・スクランブル』感想|他人に決められてきた少女が、自分で決める力を取り戻す物語

本・アニメ

冲方丁『マルドゥック・スクランブル』を読んだ。

最初に感じたのは、

「なんかよく分からない世界だな」

だった。

警察とは少し違う。

特殊な存在が認可されている。

普通の法律や捜査とは別に、特例のような制度が動いている。

ウフコックの能力もかなり特殊で、

「結局どこからどこまでできるんだ?」

という感じもあった。

世界観そのものを理解するまでに、少し時間がかかった作品だった。

そして途中からは、

カジノ。
カジノ。
まだカジノ。

という印象もかなり強い。

正直、自分はギャンブルをほとんどやらないので、

「カジノ編なっが……」

と思いながら読んでいた。

でも今振り返ると、あの長いカジノ編こそ、主人公バロットの変化を見るうえでかなり重要だったのだと思う。

この作品で自分に一番残ったのは、

他人に人生を決められてきた少女が、自分で決める力を取り戻していくこと

だった。


マルドゥック・スクランブル〈改訂新版〉

最初のバロットは、自分の人生を自分で決めていない

バロットは最初から完全に無気力な人間だったわけではないと思う。

生きること自体を完全に諦めていたわけでもない。

もし本当に、

「自分には生きる価値がない」

と完全に思っていたなら、そもそも生きようともしていなかったはずだ。

ただ、

自分で決める力

をどこかで失っていたように感じた。

過去の環境。

大人との関係。

身体を利用されること。

他人によって価値を決められること。

そういうものの中で、

「自分の人生は、自分で決めてもいい」

という感覚が閉じ込められていた。

成長というより、殻を破って出てきた感じ

だからバロットの変化を、

「成長した」

と表現することもできると思う。

でも自分には、それより少し違う。

何もなかったところに新しい力を加えたというより、

本来持っていたはずのものが、殻を破って出てきた

ように感じた。

自分で考える。

自分で選ぶ。

自分で決める。

それは本来、人間が持っているものだと思う。

ただ、環境によってそれを使えなくなることはある。

バロットも、そんな状態だったのではないかと思う。

ウフコックは、バロットの代わりに人生を決めない

ウフコックという存在が面白い。

圧倒的に頭がいい。

能力も特殊だ。

バロットの戦闘力も、かなりウフコックに支えられている。

だから単純な戦闘能力だけを見れば、

バロット自身が突然ものすごく強くなった

という感じではない。

普通の人間より遥かに強いとは思う。

でも、それは装備やウフコックの能力によるところも大きい。

それでもウフコックは、バロットの人生まで代わりに決めようとはしない。

ここが重要だった。

「やめてもいい」という選択肢

特に印象に残っているのが、

事件から降りてもいい

という選択肢を、ウフコックがバロットに示していたことだ。

しかも、バロットが降りることでウフコック自身に危険が及ぶ可能性があっても。

普通なら、

「ここまで来たんだから続けろ」

「自分のためにも戦ってくれ」

と言いたくなるところだと思う。

でもウフコックはそうしない。

バロット自身に決めさせる。

これはかなり大きい。

それまで他人に人生を決められてきた少女に、

「今度は自分で決めていい」

と選択権を返している。

自分で決めるから、覚悟になる

最初のバロットは、博士たちに導かれて事件へ入っていったように見えた。

復讐心もあったかもしれない。

でも最初から、

「私はこの事件と最後まで向き合う」

と自分で完全に決めていたわけではないと思う。

そこから時間が経つ。

ウフコックと一緒にいる。

博士たちとも関わる。

選択肢を与えられる。

そして少しずつ、自分で決めるようになる。

だから後半のバロットの行動には、

自分で選んだ覚悟

が出てくるように感じた。

ただし、目的は「自分のため」だけではない

ここも面白かった。

バロットが最後まで動く理由は、

単純な復讐だけではないように見えた。

もちろん、自分自身の問題でもある。

でも途中からは、

ウフコックのため。
博士たちのため。
一緒にいる仲間のため。

という要素もかなり強くなっていく。

だから、

「自分の過去に自分で決着をつける物語」

だけで説明すると、少し違う気がする。

自分で決める力を取り戻したからこそ、

誰かのために動くことも、自分自身の意思として選べるようになった。

ここが大きい。

自立とは、一人になることではない

自立という言葉を使うと、

「一人で何でもできるようになること」

のように聞こえる。

でもバロットを見ていると、そうではないと思った。

最終的に、

ウフコックなしでも生きていける

ところまでは行ったように感じる。

事件も終わる。

生活していくための道も見えてくる。

自分で考え、自分で判断できる。

でもだからといって、

ウフコックと離れなければならないわけではない。

むしろ事件が終わったあとも一緒にいるなら、それはもう依存ではなく、

自分で選んだ関係を続けている

と見える。

これはかなり好きなところだった。

必要だから一緒にいる、から、選んで一緒にいるへ

最初はウフコックが必要だった。

生き延びるため。

戦うため。

自分を守るため。

でも最後には、

いなくても生きていける。

その状態になったうえで、

それでも一緒にいる。

この変化はかなり大きいと思う。

人との関係も、

「この人がいないと自分は生きられない」

より、

「一人でも生きられるけど、この人と一緒にいたい」

のほうが、ずっと自分の意思に近い。

ウフコックは、初めての家族に近い存在

バロットにとってウフコックは、

武器。

相棒。

先生。

保護者。

いろいろな役割を含んでいる。

でも自分には、

初めての家族

に近い存在に見えた。

恋愛とは少し違う。

もっと根本的なパートナー。

血がつながっているわけでもない。

それでも、

互いにそばにいることを選ぶ。

そこに家族的なものを感じた。

血縁より、自分で選んだつながり

バロットの過去を考えると、

血がつながっていることが、そのまま安心や愛につながるわけではない。

むしろ、

自分で選んだ相手とのつながり

のほうが家族らしく見える。

ウフコックも、自分の意思でバロットのそばにいることを選ぶ。

バロットも、事件が終わってなお関係を続ける。

血ではない。

義務でもない。

必要性だけでもない。

互いに選んでいる。

だから家族に近いのだと思う。

ウフコックにとっての愛

ウフコックは頭が良すぎる。

だから、

「愛とは何か」

について説明することはできると思う。

でも感情というものを、人間と同じように直感的に理解しているのかというと、少し違うようにも見えた。

それでも、

バロットのそばにいることを自分で選ぶ。

この行為自体が、ウフコックなりの愛だったのかもしれない。

「愛している」と言葉で説明するより、

「私はここにいる」

を選ぶ。

それも一つの愛なのだと思う。

家族はゴールではなく、きっかけだった

ただ、自分にとってこの物語の中心は、

バロットが家族を得たこと

そのものではない。

それは大きな出来事だけれど、もっと中心にあるのは、

自分で決める力を取り戻したこと

だと思う。

ウフコックたちとの関係は、そのためのきっかけだった。

誰かがそばにいる。

自分を利用しない。

自分の選択を尊重する。

それを経験することで、

バロット自身の中にあったものが外へ出てくる。

だから家族は、

バロットを完成させる答え

ではなく、

自分自身を取り戻すための土台

だったのだと思う。

そしてカジノ編

さて。

ここまで考えると、カジノ編が重要なのはよく分かる。

分かる。

でも長い。

本当に長く感じた。

途中から、

「これほぼカジノの本じゃない?」

と思ったくらいだった。

個人的にはポーカーやギャンブルをほとんどやらない。

だから心理戦やゲームの細かな進行そのものには、そこまで興味を持てなかった。

なぜか『カイジ』を思い出した記憶もある。

額が大きい。

失敗できない。

相手の心理を読む。

勝負の中で少しずつ状況が変わる。

そういうところは面白い。

でも、

「前座なっが……」

という印象は最後まであった。

それでもカジノ編は必要だった

ただ、削っていいかと言われると、それも違う。

カジノ編では、

バロットが自分で決める力を使っている

ことがかなり分かりやすい。

戦闘ならウフコックの能力が大きい。

でもカジノでは、

相手を見る。

状況を読む。

考える。

決める。

勝負する。

その判断を繰り返す。

そこで初めて、

バロット自身が開花していく

ように見えた。

だから物語上は重要。

読書体験としては長い。

両方本当だった。

強さではなく、判断力が開花する

カジノ編でバロットが得たものを一つ選ぶなら、

自分は、

自分で決める力

だと思う。

自信でもある。

判断力でもある。

でもその全部をまとめると、

「私はこうする」と決める力

に近い。

まだその段階では、

「自分は生きる」

というところまで完全に直結しているわけではない。

それでも、自分の意思で選択する。

その積み重ねが、最終的な覚悟につながっていく。

制度には感情がない

『マルドゥック・スクランブル』というタイトルからも、自分はかなり制度的なものを感じた。

この世界には、

普通の秩序では扱えないものに対して、特殊な制度が用意されている。

でも制度そのものは、

優しくもないし、冷酷でもない。

ただの制度だ。

社会を維持する。

特殊な状況を処理する。

抑止する。

そこに感情はない。

だからバロットが救われたのも、

制度が彼女を愛したからではない。

制度の中に、救済や介入の余地があっただけ。

本当にバロットを変えたのは、人だった

制度はバロットを生き延びさせることはできる。

でも、

「自分で決めていい」

と感じさせるのは制度ではない。

そこにいたウフコックや博士たちとの関係だった。

制度は枠組みを作る。

でも、その枠の中で人間がどう関わるかによって、結果は変わる。

だから自分には、

『マルドゥック・スクランブル』は、

制度に救われる物語

というより、

制度によって生き延びる余地を得た少女が、その中で他者と出会い、自分を取り戻す物語

に見えた。

「自分を取り戻す」ということ

バロットは最後に、別の人間になるわけではない。

新しい人格を手に入れるわけでもない。

むしろ、

本来持っていたものを取り戻す。

自分で決める。

誰と一緒にいるかを決める。

事件に関わるかを決める。

誰かのために動くかを決める。

そこまで来てようやく、

人生の主語が、

「他人」から「自分」

へ戻ったように感じた。

まとめ

『マルドゥック・スクランブル』を振り返って、一番強く残ったのは、

バロットが自分で決める力を取り戻していくこと

だった。

最初は他人によって人生を動かされる。

博士たちに導かれる。

ウフコックに守られる。

でも少しずつ、

自分で見る。

自分で考える。

自分で選ぶ。

そして最後には、

自分の意思で誰かのために動ける。

ウフコックとの関係も大きい。

バロットにとって、初めての家族のような存在。

でもウフコックがバロットを作り替えたわけではない。

そばにいる。

選択肢を渡す。

本人に決めさせる。

その関係の中で、バロット自身が殻を破って出てきた。

だからこれは、

誰かに救ってもらって終わる物語ではない。

誰かとの出会いをきっかけに、

自分の人生を、自分で選べるようになる物語

なのだと思う。

そしてカジノ編。

重要だった。

本当に重要だった。

バロットの変化も一番分かりやすかった。

ただし、

長かった。

ギャンブル好きなら、むしろあそこがかなり面白いのかもしれない。

自分のようにギャンブルにあまり興味がない人間には、

「必要なのは分かる。でも長い!」

となる可能性はある。

なのでおすすめするなら、

SF。

戦闘。

特殊な世界観。

そしてギャンブルや心理戦。

そういうものが好きな人に向いていると思う。

でもその奥にある、

他人に人生を決められてきた少女が、自分で決める力を取り戻していく物語

も、この作品の大きな魅力だった。


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