東野圭吾『真夏の方程式』を読んだ。
ガリレオシリーズなので、もちろん事件がある。
湯川がいて、科学があって、謎が解き明かされていく。
でも自分が読み終わったあとに一番強く残ったのは、事件のトリックではなかった。
「勉強って、何のためにするんだろう?」
ということだった。
子どもの頃、多くの人が一度くらい考えると思う。
数学なんて将来使うのか。
理科を覚えて何になるのか。
歴史の年号を覚えて、それが大人になって何の役に立つのか。
自分も、勉強した内容そのものを仕事で直接使う機会なんて、それほど多くないと思う。
それでも大人になってみると、
「やっていてよかったのかもしれない」
と思うことのほうが多い。
『真夏の方程式』は、自分にとってそんな疑問への小さな答えになるような作品だった。
花火と物理
この作品で特に印象に残っているのが、湯川と少年、そして花火だ。
少年は湯川と関わることで、物理に興味を持っていく。
学校の黒板に書かれた公式ではない。
実際に目の前で何かが起きる。
それを見て、
「なんでこうなるんだ?」
と思う。
そして仕組みを知る。
そこにはテストも点数もない。
ただ、
知ることそのものが面白い。
子どもが何かに夢中になる時って、本来こういうものなのだと思う。
役に立つからでもない。
将来の仕事につながるからでもない。
ただ面白いから知りたい。
湯川は少年に、その入口を見せた。
だから自分には、湯川がとても立派な先生に見えた。
答えを教えるのではなく、興味を作る先生
先生というと、
「これはこういうものです」
と答えを教える人を想像しがちだ。
でも湯川が少年に与えたものは、それとは少し違うように感じた。
自分から知りたくなるきっかけ
を与えた。
湯川に会わなければ、少年は物理を好きになっていなかったかもしれない。
単なる学校の教科として、
「公式を覚えて問題を解くもの」
くらいで終わっていた可能性もある。
でも実際の世界と物理がつながった瞬間、
教科書の中にあったものが、生きている世界の仕組みに変わる。
これは教育において、とても大きなことだと思う。
湯川は昔の自分を見ていたのかもしれない
これは作中で明言されているわけではない。
ただ、少年が科学に夢中になっていく姿を見ている湯川には、少し特別なものを感じた。
もしかすると、昔の自分をどこかで思い出していたのかもしれない。
子どもの頃、
「これはどうなっているんだろう」
と純粋に興味を持つ。
分からないから調べる。
分かったら嬉しい。
また次の疑問が出てくる。
そんな姿は、大人になればなるほど魅力的に見えるのかもしれない。
大人はどうしても、
「それは役に立つのか」
「金になるのか」
「仕事につながるのか」
と考えてしまう。
でも子どもはもっと純粋に、
「面白いから知りたい」
で動ける。
あの花火の場面には、そんな学ぶことの原点みたいなものを感じた。
しかし、知識は楽しいだけではない
『真夏の方程式』が面白いのは、そこで終わらないところだと思う。
少年は事件に間接的に関わってしまう。
本人は、自分が何をしているのかを完全には理解していない。
それでも、自分がした行動と起きた結果の間には因果がある。
ここで「物理」は突然重くなる。
最初は、
知ることで世界が面白くなるもの
だった。
しかし今度は、
知ることで、自分の過去が何だったのか理解してしまうもの
にもなる。
物理現象そのものに善悪はない。
同じように世界は動く。
でも人間がそれを何のために使うのかによって、意味はまったく変わってしまう。
花火にもなる。
人を楽しませることにもなる。
そして場合によっては、取り返しのつかない出来事にもつながる。
少年は真実を知るべきだと思う
自分は、少年はいずれ真実を知るべきだと思った。
もちろん正解はない。
知らないまま生きるほうが幸せだという考え方もあると思う。
でも、少年がこの先も物理や科学への興味を持ち続けるなら、いずれどこかでぶつかる壁になるのではないかと思う。
知識が増える。
世界の仕組みが分かる。
過去を振り返る。
そして、
「あの時、自分がやったことは何だったんだ?」
と気づく。
だったら個人的には、知るのは早いほうがいい。
もちろん、その事実によって少年は苦しむと思う。
でも、その苦しみをただ罪として背負って潰れるのではなく、
成長するためのバネにしてほしい。
自分はそう思った。
知らなかったとしても、重さは消えない
少年自身が意図してやったことではない。
だから責任のあり方は当然、大人とは違う。
それでも、
自分の行動が何につながったのか
という事実そのものから完全に逃れることは難しいと思う。
そして何より重いのは、何も知らない子どもをそこへ関わらせた大人たちだ。
事情があったとしても、人を殺すという行為そのものが重すぎる。
何かを守りたかった。
過去があった。
追い詰められていた。
どんな理由があっても、被害を受けた側にとって失われたものは戻らない。
本当の償いは、何もなかった日常に戻すこと
殺人について「罪を償う」という言葉がある。
もちろん加害者が刑を受けたり、反省したり、その後の人生でできることをする意味はあると思う。
でも、
「償った」
というのは基本的には、やった側から出てくる言葉なのだと思う。
被害者本人は戻らない。
遺族が失った時間も戻らない。
事件が起きる前の生活も戻らない。
自分が思う本当の償いは、
何もなかった日常に戻すこと
だ。
しかし、それはできない。
だから殺人は取り返しがつかない。
どれほど後悔しても、
どれほど罰を受けても、
完全には元に戻せない。
『真夏の方程式』では、その取り返しのつかない出来事に、さらに少年まで関わってしまう。
だから余計に重く感じた。
勉強とは、社会を知るための材料なのかもしれない
では、勉強する意味は何なのか。
自分の場合、
社会の仕組みを知るための材料を増やすこと
が大きいと思う。
数学をそのまま仕事で使うか。
理科の公式を毎日使うか。
そういう話だけではない。
世の中には、いろいろな人間がいる。
立場によって利益が違う。
何かを作りたい人がいれば、反対する人もいる。
環境の問題もある。
経済の問題もある。
生活の問題もある。
一つの出来事を見るにも、知識が多ければ、
「なぜこの人はこう言っているんだろう?」
と考える材料が増える。
『真夏の方程式』にも、建設をめぐる対立など、子どもには背景まで理解しづらい問題が出てくる。
だから自分は、この本はむしろ大人が読むと面白いのではないかと思った。
日本の教育は「答えを覚える」に寄りすぎている気もする
ただ、勉強には一つ難しいところもある。
教育は社会に必要な共通知識や価値観を伝える仕組みでもある。
それ自体は必要だと思う。
知識がなければ、考える材料そのものがない。
でも日本の教育を受けてきた感覚としては、
「自分で考える」より「正しい答えを覚える」
ほうに寄りすぎているようにも感じる。
問題には正解がある。
それを間違えずに答える。
間違えれば減点される。
それを繰り返していると、
間違えてはいけない
という意識が強くなりすぎることもある。
そして、
正解が分からないなら答えない
という方向に行ってしまう。
でも社会に出ると、正解のない問題ばかりだ。
間違えてもいいから、自分で答えを出す
だから必要なのは、
間違えてもいいから、自分で考えること
なのだと思う。
今持っている知識を使う。
自分の経験を使う。
考える。
一度答えを出す。
間違っていたら修正する。
また考える。
その繰り返しでいい。
むしろ最初から完璧な答えを出せる人間なんて、ほとんどいない。
知識は重要だ。
でも知識は、正解を当てるためだけに持つものではない。
自分で考えるための素材
でもある。
『真夏の方程式』を読んで、自分にはそう感じられた。
学校だけが勉強ではない
そして「勉強」という言葉も、学校に限定する必要はないと思う。
生きているだけでも、人はいろいろなことを経験する。
仕事をする。
失敗する。
人と出会う。
喧嘩する。
何かを好きになる。
知らなかった社会の仕組みを知る。
それら全部が体験になる。
大切なのは、その体験をそのまま流して終わらせないことなのかもしれない。
反芻する。
「あれは何だったんだろう」
「自分はどうすればよかったんだろう」
「今ならどう考えるだろう」
と、もう一度味わう。
その時点の自分なりの答えを出す。
そして何年か経ったら、また答えが変わってもいい。
それも勉強なのだと思う。
「真夏の方程式」は少年の記憶の名前なのかもしれない
タイトルの『真夏の方程式』も、自分には少し変わった意味に感じられた。
「方程式」と聞くと、何か一つの答えを求めるような印象がある。
でもこの物語には、簡単には答えの出ない問題がたくさんある。
少年に真実を伝えるべきなのか。
人を守るためならどこまで許されるのか。
罪をどう背負えばいいのか。
そこに唯一の正解はない。
だから自分には、このタイトルが、
少年が後になって振り返る「あの夏」の記憶につけられた名前
のようにも感じた。
湯川。
花火。
海。
物理。
大人たち。
事件。
その時は意味の分からなかったものが、成長するにつれて少しずつつながっていく。
バラバラだった記憶のピースを、何度も組み直す。
そのたびに、
「あの夏は、自分にとって何だったのか」
という答えが少しずつ変わっていく。
少年にとっての『真夏の方程式』は、一度解いて終わる問題ではないのかもしれない。
少年には前へ進んでほしい
少年がこの先どうなるのかは分からない。
「絶対に大丈夫だ」
とも思わない。
背負うものはかなり重い。
でも、自分は前へ進んでほしいと思った。
少年は何かに興味を持つと、情熱を持って進んでいくタイプに見えた。
だからあの夏の出来事も、
ただ人生を壊す傷になるのではなく、
知ること、考えること、生きることへ向かう力
に変えてほしい。
湯川との出会いによって、物理の面白さを知った。
そして世界には、知ることで苦しくなることもあると知る。
その両方を持って生きていってほしいと思う。
まとめ
『真夏の方程式』を読んで、自分が一番考えたのは、
勉強する意味
だった。
勉強は、将来その知識をそのまま仕事で使うためだけにあるわけではない。
世界の仕組みを知る。
社会の仕組みを知る。
自分の経験を理解する。
そして、自分で考える。
そのための材料を増やすことにも意味がある。
学校で習うことも勉強。
仕事で失敗することも勉強。
誰かと出会うことも勉強。
自分が経験したことを振り返ることも勉強。
大切なのは、
今の自分なりの答えを出しながら、学び続けること
なのだと思う。
そして間違えてもいい。
間違っていたら、また考えればいい。
むしろ、その繰り返しこそが本当の意味での勉強なのかもしれない。
子どもの頃、
「こんな勉強、何の役に立つんだ?」
と思った人ほど、大人になってから読んでみると面白い作品だと思う。
『真夏の方程式』は、自分にとって、
勉強とは何のためにするものなのかを、もう一度考えさせてくれる教材のような小説だった。



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