三浦しをん『舟を編む』を読んだ。
読み終わって最初に思ったのは、ものすごく単純だった。
「あぁ、辞書完成したんだ。よかった。」
長い時間をかけて作り続けていたものが、ちゃんと成果として形になった。
途中にはいろいろな問題もある。
本当に完成するのかと思うような場面もある。
だからこそ最後には、
「ちゃんと残せてよかったな」
という感覚が強かった。
そして、この作品で一番印象に残ったものを考えると、辞書そのもの以上に、
仕事に人生をかけるプロフェッショナルたちの姿
だったように思う。
馬締という名前からして濃い
まず、主人公の馬締光也。
名前からしてすごい。
馬締(まじめ)。
そして本当に真面目だ。
特に言葉に対しては、とんでもなく真面目。
言葉をどう定義するのか。
どう表現すれば意味を正確に伝えられるのか。
そんなことを延々と考えている。
恋愛ですら同じで、恋文を書く場面も妙に面白かった。
本人は大真面目なのに、言葉を考えすぎるせいで普通の恋文にはならない。
そこが馬締らしい。
変人ではある。
でも辞書を作る人間として見ると、
「こんな人もいるんだな」
と感心してしまった。
物語だから当然と言えば当然なのだけれど、辞書編集の後任を探しているところへ、これほど適性のある人間が早い段階で見つかる。
それ自体がかなり幸運なことに見えた。
人間には、本当に「合う場所」がある
馬締を見ていると、能力というものについて考えさせられる。
馬締は何でもできる人ではない。
むしろ別の部署に置いたら、かなり生産性の低い人になっていた可能性すらあると思う。
しかし辞書編集という仕事に置くと、異常なほど力を発揮する。
そこで思ったのが、
適材適所って本当に重要なんだな
ということだった。
人には向いていることと向いていないことがある。
全員を同じ基準で評価して、全員に同じ能力を求めても仕方がない。
その人にしかできないこと。
そして、その人が最も力を出せる場所。
そこへ配置できれば、とんでもない成果を出すことがある。
ただ、現実にはこれがかなり難しい。
適材適所は、会社の中だけでは難しい
特に小さな会社になればなるほど、何でもできる人間が欲しくなると思う。
専門能力だけ突出している人よりも、
営業もできる。
事務もできる。
周囲とも調整できる。
何か問題があれば別の仕事もできる。
そんなオールラウンダーの方が便利だ。
大企業なら人数が多いので、尖った人材を尖ったまま使える可能性がある。
しかし小さな会社では、一人に複数の役割を求めざるを得ないことも多い。
そうなると、
適材適所とは、社内の配置よりも前に「どんな職種を選ぶか」という問題になってしまう
ように思った。
自分の能力が最も活かされる仕事は何なのか。
そこを選ぶこと自体が重要になる。
でも、自分の適性なんて働くまで分からない
ここがまた難しい。
自分の才能を活かせる場所で働くことは大切だと思う。
しかし、
自分がその仕事に向いているかなんて、実際に働いてみないと分からない部分がかなりある。
場合によっては、その才能を見せる前に書類選考で落とされるかもしれない。
面接で評価されないかもしれない。
馬締のような人間も、辞書編集という場所に入る前なら、
「コミュニケーションが苦手そうな人」
くらいに見られて終わる可能性がある。
しかし実際に辞書の仕事へ置くと、
「この人がいてくれて本当に助かった」
という存在になる。
だから人選というのは難しい。
優秀な人を選べば終わりではない。
その人が優秀になれる場所を見つけることまで含めて、人を見るということなのだと思う。
西岡も、別の意味でプロだった
馬締とは対照的な人物として、西岡も好きだった。
明るくて、軽そうで、一見すると、
「この人、本当に仕事してるのか?」
と思わせるタイプだ。
でも、なんだかんだ仕事はしている。
後任が困らないように必要なものを残したり、連絡できるようにしていたりする。
そこで、
「あれ? 意外とちゃんと仕事してる!」
となる。
たぶん、こういう人は損な性格なのだと思う。
普段の振る舞いが軽いせいで、実際にやっている仕事より低く評価されていそうに見える。
でも馬締と西岡のポジションを入れ替えたら、おそらく両方とも破綻する。
それでいい。
馬締には馬締にしかできない仕事がある。
西岡には西岡にしかできない仕事がある。
全員が同じ人間になる必要なんてない。
それぞれが一番機能するところにいる。
そうやって一つの大きな仕事が完成していく。
この作品には、そんな組織の面白さもあった。
辞書というお堅いものを、人間臭い人たちが作っている
『舟を編む』で好きだったのが、この対比だった。
辞書というものは、とても堅い。
言葉を定義する。
意味を整理する。
用例を考える。
表記を決める。
できるだけ曖昧さを減らして、一つの形へまとめていく。
ところが、それを作っている人間たちは全然そんなに整っていない。
変人がいる。
陽気な人がいる。
不器用な人がいる。
恋をする。
失敗する。
悩む。
人間関係もある。
言葉をきっちり定義する辞書を、定義しきれない人間たちが作っている。
そこが妙に面白かった。
人間とは、本来かなり柔軟でつかみどころのない存在なのだと思う。
その人間たちが協力して、ものすごく堅い辞書を作る。
その組み合わせが、この作品の温かさにもなっている気がした。
辞書って、こんなに大変なものだったのか
そもそも自分は、辞書がどうやって作られているのかをほとんど意識したことがなかった。
だからこの作品を読んで、
「辞書って、こんなにすごいものだったのか」
と思った。
一冊を完成させるために、膨大な言葉を集めて、確認して、意味を考えていく。
何年もの時間が必要になる。
今となっては、何か分からない言葉があればネットで検索することの方が多い。
情報は常に更新される。
新しい言葉もすぐ追加される。
だからこそ、紙の辞書を長い年月をかけて作る姿を見ると、
「そういう時代があったんだな」
という気持ちにもなった。
少し寂しい。
でも、単純に古いものとして切り捨てる気にはならなかった。
前時代的だけど、その時代があったから今がある
辞書作りをビジネスとして見ると、
「これ、本当に単体で儲かる仕事なのか?」
とも思った。
ものすごい人数と年月を使う。
費用もかかる。
それだけで大きな利益を生み出しているようには見えない。
むしろ出版社にとって、
看板や広告塔に近い商品なのではないか
という印象すら受けた。
それでも会社として辞書を作り続ける。
そこには馬締個人だけではなく、
会社としての執念や信念
も感じた。
今の感覚で見ると、かなり前時代的だと思う。
効率。
回収速度。
利益率。
そんな数字だけで考えれば、もっと別のものを作った方がいいのかもしれない。
でも、
何を後世へ残すか
という価値は、数字だけでは測れない。
そして、そういう時代があったからこそ現代がある。
辞書は、時代に刻まれるタトゥーのようなものかもしれない
辞書について考えているうちに、
記録を残すということ自体が重要なのではないか
と思った。
歴史というものは、いつでも公平に残るとは限らない。
誰かにとって不利なもの。
都合の悪いもの。
残したくないもの。
そういう情報は、時代が進むにつれて消されてしまうこともある。
ネット上の情報は特に、書き換えたり消したりすることができる。
でも一度紙になり、大量に世の中へ出回ったものは簡単には消えない。
その時代の言葉。
その時代の意味。
その時代の考え方。
それを一冊の中へ固定する。
そう考えると辞書は、
時代に刻むタトゥーのようなもの
なのかもしれない。
あとから簡単に消すことのできない記録。
「この時代には確かにこういう言葉があった」
という証拠になる。
松本先生と「自分の役目」
松本先生についても印象に残った。
人生を辞書作りに捧げてきた人が、その仕事の完成へ近づいていく。
自分はそこを読んで、
「もう出来上がるんだな。俺の役目も終わったな」
という安心感があったのではないか、と感じた。
もちろん、実際にそう思っていたかは分からない。
でも、
自分がいなくても仕事は続く。
後を継ぐ人間がいる。
辞書は完成する。
そこまで見届けることができたのなら、
「この仕事に携われてよかった」
と思えたのではないだろうか。
完成品を見ることだけが、仕事の価値ではない。
自分がその長い工程の一部になった。
そして自分がいなくなっても、次の人間が続きを作ってくれる。
それも立派な成果だと思う。
「舟を編む」というタイトル
そう考えると、『舟を編む』というタイトルも面白い。
辞書は言葉の海を渡る舟。
もちろん、そういう意味もあるのだと思う。
でも自分には、
次の世代へ何かを渡すための舟
にも感じられた。
自分たちが集めたもの。
考えたもの。
積み上げたもの。
それを舟へ乗せて次の時代へ送り出す。
そして同時に、
自分自身も役目を終えて、その舟に乗って旅立つ
ようにも感じた。
人間はずっと同じ場所にはいられない。
いつか仕事を辞める。
いつか死ぬ。
でも、自分が作ったものまで一緒に消える必要はない。
次の人へ渡すことができる。
『舟を編む』という物語には、そんな時間の流れがあるように思った。
やっぱり仕事って、こうなんだよな
この作品を読んで一番強く感じたのは、
「やっぱり仕事って、こうなんだよな」
ということだった。
馬締たちは本気だ。
遊びではない。
自分の仕事に対して、真剣そのものだ。
決めるべきところは決める。
確認する。
やり直す。
問題が起きれば対応する。
自分の担当を雑に終わらせない。
そこには、
プロフェッショナルとしての覚悟
がある。
何か特別に派手なことをするわけではない。
ただ、自分の仕事を徹底的にやる。
そして何年も積み上げ、最後には一冊の辞書として残す。
それがものすごく格好良かった。
まとめ
『舟を編む』は、辞書を作る物語だった。
でも自分には、それ以上に、
人が自分の仕事へ人生をかける物語
として残った。
馬締のように、ある場所では圧倒的な才能を発揮する人間がいる。
西岡のように、まったく違う能力で組織を支える人間もいる。
そして、その人たちを適材適所へ置かなければ仕事は成立しない。
人を選ぶことは難しい。
自分に合う仕事を選ぶことも難しい。
そもそも自分の適性なんて、実際に働かなければ分からないことも多い。
それでも、自分の能力を活かせる場所へたどり着き、そこで本気で仕事ができたなら幸せなのだと思う。
そして仕事は、自分がいなくなったあとにも残ることがある。
一冊の辞書。
記録。
技術。
考え方。
次の人へ渡したもの。
それらは、次の時代へ進むための舟になる。
だからこの作品を勧めるなら、
プロフェッショナルを見たい人
に勧めたい。
何かに人生をかける人。
自分の仕事を徹底的にやる人。
そして、自分がいなくなったあとへ何かを残そうとする人。
そういう人たちの姿を見るのが好きなら、『舟を編む』はかなり面白いと思う。
自分には、
「仕事とは何か」を説教せずに、仕事をする姿そのもので見せてくれる作品
だった。



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