沢木耕太郎『深夜特急』感想|前半は面白い。でも後半は「結局、何をしに行くんだ?」が残った

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沢木耕太郎の『深夜特急』を読んだ。

前半、特にインドなどで描かれる現地の生活はかなり面白かった。

一方で、旅が進むにつれて「この人は結局、何を目的に旅をしているんだろう?」

という疑問が強くなっていった。

有名な旅行記ではあるが、自分にとっては前半と後半でかなり印象が分かれた作品だった。


深夜特急 1-6巻セット

前半は、かなり面白かった

沢木耕太郎の『深夜特急』は、全体として見ると自分には少し微妙な作品だった。

ただ、最初から面白くなかったわけではない。

むしろ前半は結構好きだったと思う。

特に印象に残っているのが、インドなどで描かれる現地の生活だ。

安い宿に二段ベッドが置かれていて、そこで特に何をするでもなく過ごす。

屋台がある。

人がいる。

音がする。

匂いがする。

街には日本とはまったく違う活気がある。

自分は旅そのものが好きなわけではない。

しかし、外国に興味がないわけでもない。

旅の動画を見ることもある。

ただし、美しい景色にはあまり興味がない。

見たいのは、

「その土地の人が、どうやって生活しているのか」

という部分だ。

市場では何を売っているのか。

普段は何を食べるのか。

観光客が食べるものと、現地の人が食べるものはどう違うのか。

どんな場所で寝るのか。

どんな空気の中で暮らしているのか。

『深夜特急』の前半には、そういう生活を覗いている感覚があった。

ただ居るだけでも、旅先では情報が入ってくる

インドの安宿で、特に何をするでもなく過ごしている場面がなぜか残っている。

旅先で「何もしない」と言うと退屈そうに聞こえる。

でも、知らない土地では違うと思う。

ただそこにいるだけでも、普段とは違う音がする。

匂いも違う。

人の数も違う。

街の活気も違う。

言葉が分からなくても、入ってくる情報はいくらでもある。

だから、徹底的に節約しながら安宿にいて、現地の空気の中でぼんやり過ごす。

そういう時間は別に悪くないと思った。

むしろ、観光名所を次々に回るよりも、その土地の生活を感じられるのかもしれない。

この辺りは面白かった。

でも、だんだん「何をしたい人なのか」が分からなくなった

一方で、『深夜特急』を読みながらずっと引っかかっていたこともある。

主人公の行動に、どこか一貫性がないように見えた。

旅ではかなり節約している。

なるべく安く済ませようとしている。

そこは自分にも理解できる。

どうせ同じことをするなら、なるべく安く済ませたい。

ところが、急にカジノへ行って、しかも好奇心で一度体験したという程度ではなく、かなりのめり込む。

たくさん金を持っている旅でもないはずなのに、

「なんでそこまでやるんだ?」

と思った。

食事でも似たような印象があった。

普段はかなり節約しているのに、急に少し高いものを食べたりする。

もちろん、高い料理を食べること自体がおかしいわけではない。

日本でも牛丼なら500円程度で食べられる一方、握り寿司やすき焼き、ステーキとなれば、ランチでも数千円することは普通にある。

「この土地の食文化を知りたいから、これだけは食べてみたい」

という理由なら納得できる。

しかし『深夜特急』では、自分にはその判断基準がよく見えなかった。

節約する。

でも、急に使う。

その理由も、その場の気分に見えてしまう。

結果として、

「この人は結局、何を大事にして旅をしているんだろう?」

という疑問が残った。

自由というより、軸がなくなっていくように見えた

現地の空気を吸収しようとしていることは伝わってくる。

日本人として外国を見る感覚もある。

しかし旅が続くにつれて、自分にはその「日本人としての軸」まで少しずつ置いていってしまうように見えた。

もちろん、多様な価値観を受け入れることは悪いことではない。

ただ、自分は多様性というのは、

自分自身の芯があった上で、違うものも受け入れること

だと思っている。

『深夜特急』では、その芯がだんだん見えなくなった。

自由になっていったというより、

何を基準に動いているのか分からなくなっていった

ように感じた。

個人的には、そこにあまり共感できなかった。

語り手に共感できないと、見たい景色までズレてくる

旅行記は、その土地そのものだけを見るものではないと思う。

結局は、

「その人が何を面白いと思ったのか」

を通して世界を見る。

ある程度価値観が近い人なら、その人が注目したものは自分も面白く感じやすい。

「この人がここを面白いと思うなら、自分も見てみたい」

と思える。

逆に、語り手が何を基準に動いているのか分からなくなると、その人が見ている景色にも興味を持ちにくくなる。

自分は外国の市場や食生活、住宅、現地の人の日常を見る動画なら普通に見る。

旅をする予定がなくても、そういうものには興味がある。

だから『深夜特急』が合わなかった理由を、

「自分は旅が嫌いだから」

だけで片づけるのは少し違う気がする。

自分が見たい外国と、この作品が後半で見せてくる外国が、だんだんズレていったのだと思う。

前半は地域が変わるだけでも面白かった

前半は地域ごとの差も大きかった。

香港とインドでは、文化も生活もかなり違う。

だから次の場所へ行くだけで、

「今度はこんな暮らしなのか」

という比較ができた。

ところが後半になると、自分には似たような地域や移動が続いているように感じられた。

特に中東あたりは、細かな違いを楽しむよりも、

「また似た感じだな」

という印象の方が強くなった。

さらに移動そのものも長く感じた。

そのため、少しずつ興味が薄れていった。

3巻か4巻くらいからだった気もするが、そこは正直もう詳しく覚えていない。

ただ、

前半はかなり丁寧だったのに、後半は雑になった

という印象だけは残っている。

それが実際の構成の問題なのか、自分自身の興味が薄れたことでそう見えただけなのかは分からない。

たぶん両方あるのだと思う。

「旅すること自体」が目的になる感覚が分からない

自分にとって、旅は趣味の一つだ。

人生そのものとは別物だと思っている。

山に登りたいから山へ行く。

何かを食べたいからその土地へ行く。

何かを見たいから目的地を決める。

それが自分にとって自然な旅の形だ。

だから、

「どこへ行くか分からないまま、とりあえずどこかへ向かう」

という行動があまり理解できない。

それは旅というより徘徊に近いんじゃないか、とすら思ってしまう。

もちろん、そういう人だからこそ香港からロンドンまでバスで行こうなどという旅を始められたのかもしれない。

きっちり目的を決める人なら、そもそも『深夜特急』の旅そのものが成立しなかった可能性もある。

だから主人公の生き方を否定する気はない。

自分は好きではない。でも、そういう人がいてもいい。

そのくらいの距離感だ。

ロンドンに着いても「で、どうするの?」だった

後半になるほど、

「結局、この人は何をしに行っているんだ?」

という疑問が強くなった。

最初はロンドンまで行くという目的がある。

ならばロンドンへ着けば、少なくとも何かしらの達成感があると思う。

ところが自分は、目的地が近づいても、

「やっと着くな」

とはあまり思えなかった。

むしろ、

「で、着いてどうするの?」

という感覚だった。

そして最後は「到着せず」。

これが自分にはかなり分からなかった。

到着したのに、到着していないことにする。

文学的にはいろいろな読み方があるのだと思う。

旅は終わらない、とか。

目的地に着くことだけが旅ではない、とか。

でも自分には、その前までの行動に一本の芯が見えていなかった。

だから最後だけ格好よく「到着せず」と言われても、

「いや、結局なんだったんだ?」

という感覚の方が強かった。

一貫した考えがあって、その結果として「到着せず」なら理解できたかもしれない。

しかし自分には、旅の途中からずっとフラフラしている人に見えていた。

そのため、ラストにも納得できなかった。

今の時代に読む旅行記という問題もある

もう一つ、この本を読んでいて感じたのが時代の違いだ。

『深夜特急』は古い作品なので、今とは言葉の感覚も違う。

たとえば「アドレス」と書いてあって、

「ああ、メールアドレスじゃなくて住所のことか」

と頭の中で補正することもある。

こういう作業は、たまになら意外と面白い。

昔はこういう言葉の使われ方だったのか。

当時はこういう環境だったのか。

そうやって想像しながら読む。

ただ、毎回続くと少し面倒でもある。

その点、『深夜特急』は一冊一冊が比較的薄かったので読みやすかった。

もし同じ内容が非常に分厚い一冊だったら、もっと流し読みになっていたかもしれない。

そして、旅行記そのものの立場も昔とは変わっていると思う。

今なら動画がある。

インドの市場だけ見たい。

現地の屋台だけ見たい。

住宅街を見たい。

観光客ではなく現地の人が何を食べているのか知りたい。

そう思えば、自分の興味に合った動画を選べる。

誰か一人の旅行記を最初から最後まで追わなくてもいい。

だから今『深夜特急』を読む意味は、単純な外国情報とは別のところにあるのだと思う。

文学作品として、どう旅を見せるのか。

当時の旅人がどう世界を受け取ったのか。

そういうところに価値があるのかもしれない。

ただ、自分は作家を目指しているわけでもない。

その技法を学びたいわけでもない。

そうなると最終的には、

読んでいて自分が面白いか

が一番大きい。

前半は面白かった。でも後半はついていけなかった

『深夜特急』を読んでよかったかと聞かれると、

「すごく読んでよかった」とまでは思わない。

古い本を読む経験にはなった。

当時の外国の生活を知れた部分も面白かった。

特に前半の、安宿や屋台、人々の暮らしを覗くような部分は今でも少し覚えている。

ただ、後半になるほど主人公の旅の目的が分からなくなった。

移動や人との交流も似たようなものに感じ始め、興味も薄れていった。

そしてロンドンへ到着しても、

「で、結局どうするの?」

という疑問が消えなかった。

最後の「到着せず」も、自分にはあまり響かなかった。

前半だけならもう少し評価は高かったと思う。

しかし後半からラストまでの違和感が、作品全体の評価を少し下げた。

今でいうミニマリスト的な生活やソロ活、一人旅そのものが好きな人なら、

「こういう旅の仕方もあるのか」

と楽しめるのかもしれない。

自分にはそこまで刺さらなかった。

でもそれもまた、この本を読んで分かったことではある。

同じ外国を見るにしても、自分が見たいのは「旅」ではなく、「そこで人がどう暮らしているか」なのだ。


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