※この記事は『ハサミ男』の内容に触れています。
『ハサミ男』を振り返って、一番印象に残っているのは「認知の歪み」だった。
殺人そのものの怖さもある。
人間の内面が分からない怖さもある。
しかし自分にとって一番不思議で怖かったのは、
本人から見えている景色と、周囲から見えている景色が同じようでいて、どこか決定的に違うことだった。
認知がズレていても、世界は普通に成立する
認知が完全に現実とかけ離れているのであれば、周囲もすぐに違和感を持つのかもしれない。
しかし『ハサミ男』で感じた怖さは、そこではなかった。
本人が見ている世界は、周囲が見ている世界とかなり似ている。
会話も成立する。
生活もできる。
外から見れば自然に振る舞っている。
だからこそ、その中にあるズレが分からない。
本人の中では一つの世界がきちんと成立している。
周囲の人間から見ても、その人は自然に見える。
でも、その二つは完全には一致していない。
そのわずかなズレが、自分にはとても怖く感じられた。
周囲からの評価と、本人の自己評価が違いすぎる
主人公についてもう一つ気になったのが、自己評価の低さだった。
周囲から見る主人公は、決して評価の低い人物には見えない。
むしろ人からの評価は高く、普通に社会の中で生きているように見える。
それなのに本人は、不思議なほど自分自身を低く見ているように感じた。
最初は、周囲に見せている姿が演技なのだろうかとも考えた。
ただ、読んでいる限りでは、それが演技なのかどうかすら分からない。
あまりにも自然だからだ。
おそらく自分が主人公の周囲にいたとしても、何も気づかないと思う。
本人だけが、自分の内側と外から見える姿の違いを知っている。
周囲は、そのズレが存在することすら知らない。
自然体では生きられなかったのかもしれない
自分には、主人公の認知の歪みが、単純に壊れてしまったものには見えなかった。
幼い頃からの環境の中で、そうならざるを得なかった部分があるように感じた。
そのままの自分では生きられない。
自分を作らなければならない。
自然体のままでは死んでしまう。
そんな環境の中で生き残るために、自分なりの世界や認知を作ったのではないか。
そう考えると、認知の歪みそのものが、一種の生存手段にも見えてくる。
外から見れば普通に生活している。
しかし本人の内側では、かろうじて生きている。
自分にはそんな印象が残った。
理解されないからこそ、理解してほしい
主人公は、本当は誰かに理解してほしいのではないかとも思った。
しかし同時に、
自分のことを完全に理解してもらうことは一生不可能だ
ということも、本人自身が分かっているように感じる。
理解してほしい。
でも理解されない。
その矛盾を抱え続けながら生きる。
孤独という言葉だけでは少し違う気がする。
自分にはむしろ、
死なないために生きている
ように見えた。
そして、死へ向かう感覚をどこかに持つことで、逆にかろうじて生を続けているようにも感じた。
死にたいから死に向かうというよりも、死という出口を意識することで、どうにか今日を生きている。
そんな不思議な生と死の距離感があった。
同じ「死」でも意味はまったく違う
この作品では、主人公自身が向き合う死と、他人によって奪われる死が並んでいる。
同じ「死」という言葉でも、意味はまったく違って見える。
自分から死へ向かうこと。
他人から突然奪われること。
生きることが苦しくて死を出口にすること。
まだ生きていた人間の生を他人が終わらせること。
同じ生死の話なのに、その区別が非常に大きい。
主人公は死へ近づこうとしながら、一方では生き延びるための仕組みを作り続けている。
そこもまた、この人物の認知と生き方の複雑さにつながっているように思えた。
一番怖いのは、人間の内面が見えないこと
『ハサミ男』を読んで一番怖かったものは何か。
自分なら、
人間の内面が分からないこと
と答える。
目の前にいる人が、何を考えているのか。
普段どんなことをしているのか。
どんな世界を見ているのか。
外からすべてを知ることはできない。
むしろ外から見てごく自然な人ほど、その内側に大きなものを抱えていても気づけないのかもしれない。
だからといって、この本を読んで人を信用できなくなったわけではない。
自分としては、
人間とはもともと、そんなものだ
という感覚に近い。
人の内面なんて完全には分からない。
それを恐れて誰も信用しないというより、最初から全部は分からないものとして接するしかない。
ただ、この作品世界に深く入り込む人にとっては、かなり怖い話になるかもしれない。
目の前の人間も、外から見えている姿と内側がまったく違うのではないか。
そんなことを考え始めれば、きりがない。
『ハサミ男』で残ったもの
この本を一言で表すなら、自分にとってはやはり、
「認知の歪みが怖い本」
になる。
人は同じ景色を見ているようで、必ずしも同じ世界を見ているわけではない。
そして本人の中でその世界が成立しているなら、周囲の人間にはズレがあることすら分からないことがある。
自分自身の見えている世界。
他人から見えている自分。
そして実際の自分。
その三つが必ず一致するとは限らない。
『ハサミ男』は、殺人という怖さだけではなく、
人間が自分の認知の中で生きていること自体の怖さ
を感じさせる作品だった。
心理的な怖さが好きな人。
人間の内面について考えるのが好きな人。
そして特に、
「同じものを見ているはずなのに、見えている世界が違う」
という認知のズレに興味がある人には、かなり印象に残る作品だと思う。



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