最初の事件だけでもうパンクした
『占星術殺人事件』を振り返って、最初に出てくる感想はこれだ。
難しかった。
それも「少し考えれば分かりそう」という難しさではない。
自分の場合、そもそも死体に欠損があったという重要な情報まで途中で忘れていた。
推理小説では、前に提示された情報を覚えておき、それを後から出てくる情報と組み合わせなければならない。
これが自分はかなり苦手だ。
そのうえ『占星術殺人事件』では、一つの事件だけでも情報量が多い。
さらに複数の事件が絡んでくる。
正直、
最初の事件だけでもパンクしたのに、まだあるのか。
という状態だった。
作者から「当ててみろ」と挑発されている
この作品で強烈だったのが、作者の読者に対する挑戦的な姿勢だ。
「ここまでに必要な情報は出した」
「犯人はすでに登場している」
そんなふうに、
さあ、当ててみろ。
と正面から勝負を仕掛けられている感覚がある。
しかしこちらとしては、
いや、最後まで読んでも分かんねえよ。
である。
あまりにも堂々と挑発してくるので、途中では「作者は読者に何か恨みでもあるのか?」とすら思った。
自己顕示欲が強そうだな、と感じたくらいだ。
もちろん、これは作者本人の人格を知ってそう判断したわけではない。
あくまで、この作品から自分が受けた印象だ。
犯人当てをゲームとして楽しむ読者なら、この挑戦的な作りはむしろ燃えるのだと思う。
「絶対に作者より先に解いてやる」
という負けず嫌いな人なら、かなり相性が良さそうだ。
自分は「どうやって?」より「なぜ?」が気になる
自分はそもそも、ミステリーの推理ゲーム部分を一番重視する読者ではない。
「どうやって犯行を成立させたのか?」
にも興味はある。
ただ、それ以上に気になりやすいのは、
「なぜ、この人はそこまでして殺したのか?」
という人物の心情や動機だ。
ところが『占星術殺人事件』では、その心情部分があまり記憶に残っていない。
事件そのものが複雑すぎた。
情報を理解し、覚え、つなげようとするだけで頭を使ってしまい、人物の感情まで考える余裕がなかったのだと思う。
頑張って推理しようとはした。
しかし途中から、
これは無理だ。
と諦めた。
そこからは犯人を当てることよりも、普通に物語を追う読み方へ切り替わっていた。
そして最後に真相を見せられて、
「なるほど……」
となった。
犯人にも驚いたし、方法にも驚いた。
ただ、自力でたどり着いた感覚はまったくない。
それでも「すごい」と思った
自分には難解すぎた。
だからといって、この作品の評価が低いわけではない。
むしろ、
よくこんな複雑な事件を考えたな。
という驚きの方が大きい。
事件そのものの構造がものすごく複雑だ。
複数の情報や事件を組み合わせ、それを一つの真相へ持っていく。
自分が理解しきれなかったからこそ、逆にその作り込みの凄さを感じた部分もある。
完全に自分向きの作品ではない。
しかし、作品としてすごいことは分かる。
そんな感覚だった。
時代を頭の中で補正しながら読む難しさ
この作品には、時代性もあると思った。
古い事件を扱っているため、現代の感覚で読むと、
「今なら鑑定で分かるのでは?」
と思ってしまう部分がある。
ただし、それを欠点だとは思わない。
問題は、現代に生きている自分が読むと、
「これは当時だから成立するのかな?」
という補正を頭の中で入れながら読まなければならないことだ。
ただでさえ事件の情報量が多い。
そこへ、
「当時ならこれは普通なのか?」
「今とは捜査方法が違うのか?」
という処理まで増える。
自分の場合、その時代補正にも頭のメモリを使ってしまった感覚がある。
もちろん、舞台が現代だったとしても自分が推理できたとは思わない。
もともと苦手だから、多分そこは変わらない。
それでも、作品が発表された当時の読者と、後の時代に読む読者では、トリックの受け取り方はかなり違うのではないかと思った。
調査パートは『逆転裁判』みたいで楽しかった
事件の説明部分はかなり複雑だったが、実際に御手洗たちが調査へ向かってからは、少し読み方が変わった。
調査パートは比較的長い。
そこで、一つずつ情報が増えていく。
事件説明で大量の情報を渡されて、
「さあ推理しろ」
と言われるよりも、
現地へ行く。
話を聞く。
一つ謎が解ける。
また次の情報が出てくる。
という進み方の方が自分には楽しかった。
感覚としては少し、
『逆転裁判』に近い。
ただし、自分で証拠を組み合わせて真相へ近づいているわけではない。
完全に御手洗についていって、
「へえ、そうなんだ」
と見ているだけだった。
それでも、少しずつ謎が回収されていく感覚は面白かった。
御手洗と石岡がいなかったら、かなりしんどかった
そして、この本を最後まで楽しく読めた大きな理由が、
御手洗潔と石岡和己の二人だった。
二人は性格がまったく違う。
御手洗は猛烈な勢いで突っ走る。
石岡はその後を必死についていく。
どちらかというと、石岡が御手洗の面倒を見る側に見える。
しかし、保護者面はしない。
「俺がいないとお前はダメだ」
という態度ではなく、あくまで気心の知れた友人として横にいる。
この距離感がいい。
御手洗のような天才タイプは、相手が保護者面を始めたら、
「お前はいらない」
となりそうな気がする。
石岡は少し引いて御手洗を受け入れる。
だから二人の関係が成立しているように見えた。
3日何も食べずに「あんパンと牛乳」
特に笑ったのが、御手洗が長時間ろくに食事をせず、
「あんパンと牛乳」
を欲しがる場面だ。
刑事の張り込みかよ。
と思った。
こういう細かな生活感があるから、難解な事件をずっと追うだけの小説になっていない。
事件だけだったら、自分にはかなりしんどかったと思う。
複雑な推理の合間に、この二人の日常や掛け合いが入る。
それが読み続けるための支えになっていた。
現実にいたら御手洗はちょっと怖い
御手洗はかなり強烈な人物だ。
突然奇声を上げて走り出し、周囲の人間から警戒されるような描写もある。
小説だから「変わった天才」で済むが、現実に同じ人がいたら普通に怖い。
実際、たまにそういう人はいる。
だから妙に現実味があった。
一方の石岡は、御手洗の奇行そのものを止めるというより、
「また始まったな……」
と慣れているように見える。
そして本人よりも周囲の視線を気にしていそうだった。
御手洗が社会から少し外れた行動をしても、石岡が横にいることで妙にバランスが取れる。
石岡単体には、御手洗ほど強烈な個性は感じなかった。
でも、それでいいのだと思う。
石岡まで強烈な人物だったら、この二人はたぶん成立しない。
御手洗が許容しない気がする。
ガリレオとは似ているようで違う
変わった天才と、それについていく比較的常識的な人物。
この構造だけ見ると、東野圭吾のガリレオシリーズを少し思い出す。
しかし、読んだ印象は別物だった。
御手洗と石岡は、もっと私生活まで含めた友人関係に見える。
事件を解くためだけに組んでいるのではなく、普段から付き合いがある。
御手洗を心配して様子を見に来るような石岡の立ち位置も含めて、
気の知れた友人同士
という感じが強かった。
どちらが上という話ではない。
別タイプとして、どちらも面白い。
占星術はよく分からなかった
タイトルにも入っている占星術については、正直なところあまり理解できなかった。
推理するうえでは重要だったのかもしれない。
しかし、自分は途中から推理そのものを諦めていた。
そのため、
「たぶん大事なんだろうな」
くらいの状態で読み進めていた。
そこも含めて、この作品は自分にとって情報量が多かった。
難解だけど、人間味があるから読めた
『占星術殺人事件』は、自分にとってかなり難しいミステリーだった。
推理に必要な情報を保持するのが苦手。
事件は複雑。
時代背景まで考えなければならない。
占星術もよく分からない。
作者からは「もう解けるぞ」と挑発される。
そして、
まったく解けない。
それでも、普通に面白かった。
事件の複雑さそのものには素直に「すごい」と思ったし、調査パートで少しずつ謎が回収されていくのも楽しかった。
何より、御手洗と石岡の二人がいる。
難解な本格推理だけだったら、自分には「すごいけど、しんどい本」で終わっていたかもしれない。
そこへ二人の掛け合いや生活感、人間味が加わることで、推理ゲームが得意ではない自分でも最後まで楽しめた。
推理が好きな人。
特に、作者から挑戦されたら、
「絶対に当ててやる」
と燃える負けず嫌いな人には、かなり向いている作品だと思う。
自分は途中で完全に降参した。
それでも、
こんな複雑な事件をよく作ったな。
という感想だけは、強く残っている。


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