歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』を読んだ。
この本で一番印象に残っているのは、やっぱり仕掛けだった。
細かな事件の流れはかなり忘れている。
詐欺。
借金。
犯罪への加担。
そこから逃げられなくなった人間。
そんな重い話だったことは覚えている。
でも、それ以上に鮮明に残っているのが、
主人公の年齢が、自分の想像とまったく違ったこと。
だった。
読みながら自分は、主人公をもっと若い中年男性くらいだと思っていた。
ところが終盤、
「え? この人そんな年齢だったの?」
となった。
最初は、
「自分、どこか読み飛ばしたのかな?」
とすら思った。
でも、そうではない。
どうやら自分が勝手に人物像を作っていた。
そこが面白かった。
作者に嘘をつかれた感じではなかった
いわゆる叙述トリックと呼ばれるものには、
「騙された!」
という感覚を持つ作品もある。
でも『葉桜の季節に君を想うということ』では、自分は少し違った。
作者から、
「主人公は若い男です」
と明言されていた記憶はない。
ただ自分が、
行動力がある。
女性との関係がある。
危険な場所にも行く。
身体も張る。
そんな情報から、
「このくらいの年齢の人だろう」
と勝手に補完していた。
だから真実が分かった瞬間も、
「嘘をつかれた!」
というより、
「え、俺が勝手にそう思ってただけ?」
という驚きだった。
年齢を知って、主人公のイメージが修正された
年齢が分かったからといって、主人公が別人になるわけではない。
今まで読んできた行動が消えるわけでもない。
ただ、頭の中にあった人物像が修正される。
それまで、
「元気な中年男性」
くらいに思っていた人が、
突然、
「かなり元気な年配男性」
になる。
すると同じ行動でも見え方が変わる。
自分は、
「うわー! 元気すぎる! 若い!」
と思った。
危険な相手のところへ行く。
身体を張る。
行動する。
年齢を知ってから振り返ると、余計にすごく見えた。
もちろん、年齢にはある程度の傾向がある
この仕掛けから、
「年齢で人を判断することはすべて間違いだ」
とまでは自分は思わない。
年齢によって体力や生活、行動にはある程度の傾向があると思う。
多くの人を見たり、自分の経験を参考にしたりすれば、
「このくらいの年齢なら、だいたいこういう人が多いよね」
という予測は自然に生まれる。
実際、自分の周りにも元気な年配の人はいた。
だから主人公の年齢を知ったあとも、
「ありえない」
とは思わなかった。
むしろ、
「珍しいけど、いるよな。こういう人」
という感じだった。
ただ、それでも主人公は相当に若く見える。
その一般的な傾向から外れているからこそ、この仕掛けが成立するのだと思う。
人は書かれていない部分を勝手に補完する
この作品を読んで面白かったのは、
人間は、書かれていない情報まで勝手に作ってしまう
ということだった。
年齢が書かれていない。
だから空白のままにしておけばいい。
でも実際にはそうならない。
言葉遣い。
行動。
趣味。
恋愛。
他人との関係。
そういう断片から、
「この人はこのくらいの年齢だろう」
と無意識に像を作る。
そして一度その人物像ができると、その後の文章もその姿で読み続ける。
自分はまさにそれをやっていた。
姉まで若いと思っていた
主人公だけではなかった。
姉についても、自分はもっと若い人物を想像していた。
アイドルが好きだったり、言葉遣いが若く感じられたりしたからだと思う。
だから年齢を知った時、こっちは主人公以上に妙なギャップがあった。
正直、
ちょっと怖かった。
頭の中ではもっと若い女性として完成していた。
そこへ突然、実際の年齢に合わせて見た目を修正しなければならない。
すると、
声と姿が一致しないような不気味さ
が出てきた。
「永遠の○○歳!」
みたいなことを言っている人が、そのノリのまま何十年も年齢を重ねたらこんな感じなのかもしれない。
そんなことまで考えた。
冒頭の印象まで仕掛けに使われていたように思う
この作品は、最初から主人公についてかなり強い印象を与えてくる。
だから読者は早い段階で、
「こういう男なんだな」
という像を作る。
その最初の像があるからこそ、最後まで年齢について疑わなかったのかもしれない。
作者は年齢そのものを偽らなくてもいい。
読者が勝手に補完してくれる。
これはかなり面白い仕掛けだと思った。
タイトルの声まで変わった
『葉桜の季節に君を想うということ』
タイトルだけ見ると、自分には少し文学青年っぽく見える。
若い学生が言っても、それほど違和感がない。
春。
葉桜。
誰かを想う。
少し文学的で、少しセンチメンタルな言葉だ。
でも主人公の年齢を知ったあとだと、このタイトルの声まで違って聞こえた。
急に、
年齢を重ねた人間の言葉
のように感じた。
少し哀愁が出てくる。
同じ文章なのに、誰が語っていると思うかによって印象が変わる。
これも面白かった。
ただ、「葉桜=人生の終盤」と単純には思わない
年齢を考えると、
満開の桜を若さとして、
葉桜を人生の後半と見ることもできるのかもしれない。
ただ、自分はそこまで単純でもないと思う。
外から見れば、
「もう年寄り」
「人生も後半」
と思われる年齢でも、本人からすれば違うかもしれない。
今の日本なら、その先もかなり長く生きる可能性がある。
学校という生活が終わる。
仕事中心の生活もいつか終わる。
社会との距離の取り方も変わる。
すると、
それまでとはまったく違う新しい生活が始まる可能性もある。
外から見れば終盤でも、
本人からすれば別のスタートラインかもしれない。
若い側から見る老いと、実際にその年齢を生きている本人の感覚は、たぶん同じではない。
主人公を見ながら、そんなことも少し考えた。
物語そのものは、かなり重い
仕掛けは面白い。
でも物語自体については、
決して気分のいい内容ではなかった
という印象がある。
詐欺。
借金。
人を追い詰める仕組み。
犯罪に巻き込まれ、自分も犯罪へ加担していく人間。
そういうものが出てくる。
特に印象に残っているのが、自分ではもう戻れないところまで来てしまった女性だ。
罪悪感を殺さないと生きられない
その女性を見て、自分は少し嫌な感じがした。
犯罪に加担している。
他人を傷つけている。
だから完全に被害者とは言えない。
加害者でもある。
ただ同時に、
本人自身も悪質な金貸しや詐欺の仕組みによって追い込まれた側でもある。
そこで簡単には割り切れない。
自分には、その女性が、
自分を守るために罪悪感そのものを殺している
ように見えた。
「もう仕方がない」
「自分もこうするしかなかった」
と思わなければ、生き続けられない。
そんな状態だったのかもしれない。
追い込まれた事情があっても、加害は消えない
その人を追い込んだ側が根本的に悪い。
法外な利息を取る。
騙す。
人間を食い物にする。
そういう構造がなければ、そもそも犯罪へ加担しなかったかもしれない。
だから、
「仕方なかった」
と言いたくなる部分もある。
でも、
だから被害がなくなるわけではない。
追い込まれていた事情と、
他人を傷つけた事実は、
同時に存在する。
ここは簡単に白黒をつけられないと思った。
加害者はやり直せても、被害者は元には戻れない
加害した人間が人生をやり直すことはできるかもしれない。
罪を認める。
生き方を変える。
誰かに助けてもらう。
そこから別の人生を歩く。
それ自体はできると思う。
でも被害を受けた人間は、
事件が起きる前の状態には戻れない。
軽い被害でも何かしら傷は残る。
取り返しのつかない被害なら、なおさらだ。
だから、
「加害者もいつか救われればいい」
だけで終わらせるのは、自分には少し違う。
それでも、誰かが手を差し伸べる瞬間はある
ただ、
もう戻れないところまで来た人間にも、誰かが手を差し伸べる瞬間はある。
この物語には、そういうものも感じた。
その女性にとって、主人公はヒーローだったのだと思う。
自分ではもうどうにもできない。
逃げられない。
誰も助けてくれない。
そんな場所へ主人公が現れる。
そして悪党と戦う。
だから彼女から見れば、本物のヒーローなのだと思う。
でも、自分にとって主人公は無条件のヒーローではない
ここは少し分けて考えたい。
女性にとって主人公がヒーローなのは分かる。
でも自分自身が主人公を、
「正義のヒーローだ」
と完全に思えたわけではない。
主人公は、女性が犯罪へ加担した事情をかなり理解する。
場合によっては正当化しているようにも見える。
もちろん、
「そうするしかなかった」
と言いたくなる事情はある。
それでも取り返しのつかないことに加担した事実は残る。
だから、
女性にとってのヒーローと、読者である自分にとってのヒーローは違う。
そこは分けておきたい。
それでも、悪党と戦う主人公は格好いい
倫理的にすべて納得できるわけではない。
でも主人公の行動力にはかなり驚いた。
危険な場所へ行く。
相手と戦う。
誰かを助けようとする。
そして後から年齢を知る。
そこで、
「いや、この歳でこれやってたの!?」
となる。
若いと思って読んでいた時より、年齢を知ったあとで余計に格好よく見えた部分もある。
主人公は確かに珍しい。
多数派ではないと思う。
でも、
こういう人が本当にいたらすごいな
とは思った。
仕掛けと英雄譚
『葉桜の季節に君を想うということ』で一番面白かったのは、やはり仕掛けだと思う。
でも、その中には、
愛。
救い。
誰かのために動くこと。
絶望している人間へ手を差し伸べること。
そんな英雄譚のような要素もある。
だから単純に、
「年齢で読者を驚かせるだけの本」
でもない。
重い犯罪の話があり、
救われない被害もあり、
それでも誰かにとっては救いになる人間もいる。
その物語の上に、大きな仕掛けが乗っている。
そんな作品だったように思う。
まとめ
『葉桜の季節に君を想うということ』で、自分が一番面白かったのは、
年齢を明言しないことで、読者自身に勝手な人物像を作らせる仕掛け
だった。
作者が嘘をつく必要はない。
読者が、
行動。
言葉遣い。
趣味。
恋愛。
そこから勝手に年齢を補完する。
そして最後に情報が与えられた瞬間、
自分の頭の中で作った人物像を修正することになる。
自分は完全にそれに引っかかった。
しかも、
「騙された!」
というより、
「あれ? 自分どこか読み飛ばした?」
と思ってしまった。
そこまで自然に人物像を作らされていたことが面白かった。
物語そのものは、詐欺や犯罪、被害など重い要素も多く、決して気分のいい内容ではない。
だから誰にでも勧めたいというより、
叙述トリックや、読者自身の思い込みを利用した仕掛けが好きな人
に特に向いている作品だと思う。
自分がこの本から一番強く覚えているのも、まさにそこだった。
書かれていないことを、人間は勝手に読む。
『葉桜の季節に君を想うということ』は、その読者自身の性質をうまく使った小説だった。



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