綾辻行人『十角館の殺人』を読んだ。
正直に言うと、読んでから時間が経った今、細かい内容をかなり忘れている。
犯人が誰だったか。
どういう仕掛けだったか。
それぞれの人物がどんな性格だったか。
思い返しても、かなり曖昧だった。
それでも不思議なことに、
孤島にある館で一人ずつ人が減っていく感覚。
残された人間たちが疑心暗鬼になっていく雰囲気。
そして終盤になって、急に物語のスピードが上がったような感覚。
そういうものは断片的に残っている。
だから自分にとって『十角館の殺人』は、
人物ではなく、状況に没入した小説
だったのだと思う。
「どうやった?」より「次はどうなる?」
ミステリーを読んでいれば、
「犯人は誰だろう?」
「これはどういうトリックなんだろう?」
とは自分も考える。
でも正直、自分はトリックに詳しくない。
考えても分からないことが多い。
すると途中で、
「まあ、自分では分からないな」
となる。
そこで必死に答えを導き出そうとはしない。
分からないものは一旦諦めて、自分に分かる範囲で続きを追う。
だから『十角館の殺人』を読んでいた時も、
「どうやってこの犯罪を成立させたのか?」
以上に、
「次は誰なんだろう?」
「この状況がどうなっていくんだろう?」
という展開のほうが気になっていた。
真相を知った時も、
「なるほど、そう思わせていたのか」
「そういうやり方だったのか」
とは思う。
でも、トリックを分解して、
「ここがすごい!」
と味わうところまではいかなかった。
トリックのすごさは、自分には評価しきれない
『十角館の殺人』は、トリックや仕掛けを楽しむ人から非常に高く評価されている作品なのだと思う。
ただ、自分にはそのすごさを正確に評価できない。
そもそも、自分がミステリーに求めているものが少し違うからだ。
自分は、
「どうやったのか?」
より、
「なぜそこまでやったのか?」
のほうに興味がある。
人間がなぜそう考えたのか。
どうしてそこまで追い詰められたのか。
その人にとって、それをやるだけの理由は何だったのか。
そういう部分のほうが気になる。
だから、仕掛けそのものが大きな魅力になる作品では、どうしても自分との相性に差が出る。
『十角館の殺人』も、まさにそうだったのかもしれない。
人物よりも、館の中を見ていた
それでも、読んでいる最中に退屈だったわけではない。
むしろ没入感はあった。
ただ、その没入の仕方が少し変わっていた。
登場人物の誰かに強く感情移入して、
「この人には生き残ってほしい」
と思いながら読む感じではない。
どちらかというと、
映画のカメラマンになって館の中を追いかけている感じ
だった。
次に何が起きるのか。
誰がいなくなるのか。
残された人たちはどう動くのか。
館の中で状況が変化していく様子を、少し離れた場所からずっと見ている。
だから今になって人物の名前や性格はほとんど残っていないのに、
「次は誰だ?」
という感覚だけはなんとなく覚えている。
人物に入り込んだというより、
事件の中へ入り込んでいた
のだと思う。
疑心暗鬼になっていく状況は面白かった
印象に残っているものの一つが、残された人たちが疑い合っていく状況だった。
閉ざされた場所で殺人が起こる。
犯人が外にいるとは限らない。
もしかすると、この中にいるかもしれない。
そうなると当然、周囲の人間を疑い始める。
しかも彼らにはミステリーの知識がある。
これは少し怖い設定だと思った。
知識があるということは、
普通なら考えない可能性まで考えられてしまう
ということでもある。
見えている証拠は本物なのか。
何か仕掛けがあるのではないか。
死んだと思っている人間は本当に死んでいるのか。
考えようと思えば、いくらでも疑える。
知識は本来、物事を理解するためにある。
でもこういう状況では、
余計な知識があるからこそ、可能性を消せなくなる。
場合によっては他人だけではなく、自分自身まで信じられなくなるかもしれない。
実際に人間が同じ状況になった時、本当にそうなるかは分からない。
それでも、
「こういう条件を揃えると、人はこういう状態になっていくのか」
という状況設計は面白かった。
終盤で急に話が加速した感覚
もう一つ妙に残っているのが、終盤のスピード感だった。
人数がかなり減ったあたりからだったと思う。
足跡のような手掛かりも出てきて、
それまで広がっていた可能性が急速に狭まっていく。
人数が多いうちは、
誰なのか。
どうなっているのか。
いろいろな可能性がある。
でも人が減る。
残された条件も減る。
すると一気に解決へ向かって走り始める。
自分には、そこで突然カメラの動きが速くなったように感じられた。
それまでゆっくり館の中を見回していたのに、
終盤になると、
「もう残り時間がない」
みたいな勢いで話が収束していく。
細かい真相以上に、その速度の変化が印象に残っている。
だから、もう一度読みたいとはあまり思わない
評価の難しい作品でもある。
つまらなかったわけではない。
読んでいる最中は先が気になった。
状況にも没入した。
疑心暗鬼になっていく感じも面白かった。
それでも、
もう一度読もうとはあまり思わない。
たぶんこれは、作品の出来というより単純に好みの問題なのだと思う。
トリックの構造を理解するために再読する。
伏線を確認する。
一度真相を知った上で、どこで騙されていたのか探す。
そういう楽しみ方が好きな人なら、再読する価値もかなりあるのだと思う。
でも自分の場合、一番興味があるのはそこではない。
「どうやったのか」が分かった時、
「なるほど、そういうことだったのか」
である程度満足してしまう。
その人物がなぜそこまでしたのか。
そこにどんな感情があったのか。
そのほうが自分には重要なのだと思う。
トリック好きには向いていると思う
自分自身がトリックに詳しいわけではないので、
「このトリックはどれほど優れている」
と評価することはできない。
ただ、作品全体がかなり強く、
謎、仕掛け、読者の認識、真相
へ向けて組み立てられているようには感じた。
なので、
トリックを考えるのが好きな人。
伏線を探すのが好きな人。
作者と知恵比べをしたい人。
どんでん返しが好きな人。
そういう人には、かなり相性が良い作品なのだと思う。
逆に自分のように、
「どうやった?」より「なぜやった?」
を知りたい人間だと、名作と言われている理由を完全には味わいきれないこともあるのかもしれない。
まとめ
『十角館の殺人』は、今振り返ると不思議な作品だった。
細かなトリックは覚えていない。
人物もあまり残っていない。
犯人や動機すら、時間が経つとかなり曖昧になった。
それなのに、
孤島。
館。
一人ずつ減っていく人間。
疑心暗鬼。
そして終盤で一気に加速する物語。
そういう、
状況の映像だけは残っている。
自分は登場人物の中に入っていたのではなく、
館の中を移動するカメラのような視点で事件を見ていたのかもしれない。
だから、
状況には没入した。
でも、
人物はあまり残らなかった。
そしてその違いが、たぶんこの作品と自分との距離なのだと思う。
トリック中心のミステリーが好きな人なら、きっと自分とはまったく違うところに魅力を感じる作品なのだろう。
自分には完全には分からなかった。
でも、
「自分はミステリーの何を面白いと思っているのか」
を逆に教えてくれた作品ではあった。
自分が知りたいのは、
どうやったのかより、なぜやったのか。
どうやら自分は、そういう読者らしい。



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