東野圭吾『容疑者Xの献身』を読んだ。
読み終わってまず感じたのは、
余白の大きい作品だな
ということだった。
トリックはすごい。
石神という天才がいる。
湯川という天才もいる。
数学のように、ルールの中から一つの答えを導き出そうとする二人がいる。
でも最後まで読んでみると、この物語を本当に動かしていたものは論理ではなかった。
感情だった。
もっと言えば、
愛だった。
石神の靖子への愛。
靖子の娘への愛。
湯川の石神への、友人としての愛。
そこにはすべて愛がある。
しかし、その方向と重さが違う。
そして、そのわずかな違いによって、人の人生も結末もまったく違うものになっていく。
自分には『容疑者Xの献身』が、
愛というものの素晴らしさと恐ろしさを同時に描いた物語
に感じられた。
数学と感情という対極
石神は数学の天才だ。
数学にはルールがある。
条件があり、式があり、その中から答えを導き出していく。
感情を含めなくても成立する。
むしろ感情を取り除くことで、誰が解いても同じ答えへ辿り着ける。
一方、人間の感情はまったく違う。
同じ出来事が起きても、誰も同じ答えにはならない。
好きだから。
怖いから。
罪悪感があるから。
守りたいから。
そんなものによって、人はいくらでも論理から外れていく。
『容疑者Xの献身』では、この二つがずっと対極に置かれているように感じた。
ところが最後には、
数学と感情は別々のものではなかった
と分かってくる。
石神が作り上げた完璧に近い論理。
その論理を動かしていたもの自体が、靖子への愛だったからだ。
石神は、靖子によって命を救われた
石神にとって、靖子は単なる「好きな隣人」ではなかったように思う。
彼は、一度は自分の人生を終わらせようとしていた。
数学者として生きる自分。
自分を支えていたもの。
それが壊れてしまった。
しかし、その瞬間に靖子たちが現れる。
本人たちは、石神の命を救ったことなど知らない。
ただ日常の中で、そこに存在しただけだった。
でも石神にとっては、その存在が、
「もう少し生きてみよう」
と思わせるものになった。
だから靖子への感情は、普通の恋愛よりはるかに重い。
彼女がいたから、自分は生きている。
その感覚があったのではないかと思う。
恋愛というより、崇拝に近い
石神は靖子に、
「自分を愛してほしい」
と思っていたようには、あまり見えなかった。
もちろん好意はある。
でも、自分が靖子と結ばれることを目的にしているようには感じない。
石神が望んでいたのは、
靖子が生きること。
そして、できれば幸せになること。
そこに自分が含まれている必要すらない。
もし石神と一緒になることが靖子の幸せだったなら、その未来を受け入れた可能性はあると思う。
でも、
「自分を愛してくれ」
という要求は感じない。
だから自分には、恋愛というより少し崇拝に近く見えた。
自分の命を救ってくれた存在に対して、
「今度は自分が、この人を救う」
と決めた。
それが石神にとっての愛だったのだと思う。
愛を、自分が最も得意な論理へ翻訳した
石神は、靖子と出会って突然別人になったわけではない。
感情に目覚めたからといって、普通の人のように恋愛をするわけでもない。
人間はそんなに簡単には変わらない。
彼は数学者だ。
論理で考えることに圧倒的な適性がある。
だから、
「靖子を救いたい」
という感情から生まれた目的を、
論理によって実現しようとした。
どうすれば疑いを逸らせるか。
警察は何を見るか。
どこに別の答えを置けばいいのか。
何をすれば、靖子と娘を事件から切り離せるのか。
愛という非常に感情的なものを、
石神は自分が最も扱いやすい論理の形へ翻訳した。
あのトリックは、石神の知性を示すものでもある。
でも同時に、
石神の愛そのものを形にしたもの
にも見えた。
計画そのものは完璧に近かった
事件だけを見れば、石神の計画はほとんど完璧だったと思う。
失敗した原因は、
湯川がいたこと。
石神と同じように、通常では届かないところまで論理を追える人間。
しかも石神自身を知っている。
相手が悪かった。
普通の捜査だけなら、あの計画は成立していたのではないかと思う。
だから、
「感情を計算できなかったから計画が破綻した」
という印象ではない。
論理としては完成していた。
ただ、湯川がそこへ辿り着いた。
それだけだったように感じる。
でも、これは天才同士の勝負ではない
結果だけなら、
湯川が石神の論理を見破った。
だから湯川の勝ち、と言うこともできるのかもしれない。
でも自分には、まったく勝負には見えなかった。
勝ち負けなんてない。
湯川はただ、真実へ辿り着いてしまった。
そして、その先にあったのは人間の破滅だった。
石神はすべてを失う。
靖子は真実を背負う。
娘も深い自責に苦しむ。
湯川は尊敬していた友人を失う。
真相が明らかになったことで、誰かが幸せになったわけではない。
そこに残ったのは、
喪失だけだった。
湯川は、かなり感情的な人間に見える
湯川は論理的な人物だ。
科学者であり、事件に対しても理屈で向き合う。
でも自分には、かなり感情的な人間にも見えた。
特に石神に対してはそうだ。
湯川は石神の能力を認めている。
尊敬している。
友人として大切に思っている。
だからこそ、
「なぜお前ほどの人間が、こんな選択をしたんだ」
と思ってしまう。
犯罪である以上、真相は暴くべきだ。
でも真相を暴けば、自分が尊敬する友人を破滅させる。
ここに葛藤がある。
事件を解く喜びなんてほとんどない。
むしろ真実へ近づけば近づくほど、
石神を失うことが確定していく。
湯川にとっては、非常につらい捜査だったのではないかと思う。
湯川は石神の愛に気づいてしまう
さらに厳しいのは、石神が単なる犯罪者ではないと理解してしまうことだ。
なぜそこまでしたのか。
何のためだったのか。
追えば追うほど、
靖子への愛
に辿り着く。
湯川からすれば、石神は加害者であると同時に、少し被害者にも見えたのではないかと思う。
靖子たちに出会わなければ、石神は死んでいたかもしれない。
しかし靖子たちに救われたからこそ、彼女たちへの愛が生まれた。
そして、その愛によって今度は破滅した。
救われたことが、破滅へ続く入口にもなってしまった。
この矛盾はかなり重い。
靖子は、石神の献身を背負えなかった
石神にとって最良の結末は単純だった。
自分だけが罪を背負う。
靖子と娘は、そのまま生きていく。
そして幸せになる。
それでよかった。
むしろ、それだけが石神にとっての救いだったのかもしれない。
でも靖子には、それができない。
自分のために、そこまでの犠牲を払った人間がいる。
しかも別の命まで失われている。
その事実を知りながら、
「では私は幸せになります」
とはできない。
娘もまた、自責の念に追い詰められていく。
靖子自身も、もうそのまま生き続ける理由を失ったのだと思う。
だから最後に石神のもとへ行く。
それは石神への恋愛感情というより、
靖子自身が、自分の罪と現実を引き受けるための行動
だったように見えた。
せめてもの償い。
そうしなければ、靖子自身が存在できなかったのかもしれない。
靖子が真実を選んだ瞬間、石神の行為から意味が失われる
ここが、とても残酷だった。
石神は靖子を幸せにするためにすべてをやった。
だから石神にとって、
靖子が幸せに生きること
だけが、自分の行為に残された意味だった。
でも靖子が真実を選ぶ。
すると、
守りたかった人は救われない。
自分も裁かれる。
そして、無関係な人間を殺したという事実だけは残る。
極端に言えば、
石神が「献身」として行ったことから、殺人と幇助だけが残ってしまう。
これは湯川にとっても、相当つらかったのではないかと思う。
それでも湯川は靖子に現実を知らせる。
嘘の上に成立する幸福を残すのではなく、
真実を知った上で本人に選ばせる。
そこに湯川なりの倫理があるように感じた。
石神の最後の咆哮
最後に石神が崩れる。
自分には、あの咆哮に一つの感情だけがあったようには思えない。
計画は失敗した。
これは論理の崩壊。
靖子を幸せにできなかった。
これは感情の崩壊。
手段も目的も、両方失った。
だから、
悔しさ。
悲しさ。
怒り。
絶望。
無駄になってしまった感覚。
すべてが一気に押し寄せたのではないかと思う。
石神は一度、数学者として生きる自分を失っている。
そこで死を選ぼうとした。
でも靖子によって、二つ目の生きる理由を得た。
そして最後には、
その二つ目まで壊れた。
石神からすれば、死ぬよりつらかったのではないか。
「自分は生きていてよかったのか」
「何のために生き延びたのか」
「彼女を助けることすらできなかった」
そんなものが全部一緒になって、言葉ではなく声になった。
自分にはそう感じられた。
「容疑者」と「献身」
タイトルの『容疑者Xの献身』も面白い。
自分には、
「容疑者」=外から見た石神
そして、
「献身」=石神自身から見た自分の行為
のように感じた。
社会から見れば容疑者。
犯罪者。
殺人と隠蔽を行った人間。
そこにどんな事情があっても、法的には許されない。
でも石神本人から見れば、
靖子を幸せにするために、自分のできることをすべてした。
それは献身だったのだと思う。
同じ行為なのに、
見る方向によって名前が変わる。
外から見れば犯罪。
内側から見れば献身。
だから読者は困る。
石神の行為を肯定することはできない。
でも事情を全部知ってしまうと、
「ただの犯罪者」
として見ることもできなくなる。
この余白が大きい。
愛は、人を救うためにある
自分は愛というものは、本来、
人を救うためにある力
だと思う。
石神も実際、愛によって救われた。
靖子たちの存在によって、自分の命をもう一度生きようと思えた。
愛によって、人間は自分一人では出せない力を出せる。
いつもの限界を越えられる。
誰かのためなら頑張れる。
そこは愛の素晴らしい部分だと思う。
しかし、同時にそれは危険でもある。
愛は、自分の限界を壊してしまう
普通なら、
「ここまでにしよう」
と思える境界がある。
でも愛によって、
「この人のためなら」
と思うと、その境界を越えられてしまう。
それは素晴らしいことでもある。
でも進む方向を間違えれば、非常に恐ろしい。
石神も、靖子を救いたいと思った。
その気持ち自体は美しい。
しかし、そのために別の人間の命を奪った。
愛だから許されるわけではない。
むしろ、
愛が強すぎたからこそ、そこまで行けてしまった。
本人は救う方向へ走っているつもりだから、自分がどれほど遠くへ来てしまったのかにも気づきにくい。
愛というものには、
方向と重さのバランス
が必要なのだと思う。
すべての人間が、愛によって動いている
考えてみると、この物語にはいろいろな愛がある。
石神は靖子を愛する。
靖子は娘を愛する。
湯川は石神を、友人として大切に思っている。
そして、その愛がそれぞれ違う方向へ動く。
石神の愛は、自分を犠牲にして靖子を救おうとする。
靖子の愛は、娘の苦しみも含めて真実を引き受けさせる。
湯川の愛は、友人だからこそ真相から目を背けず、同時に友人を失う苦しみを生む。
誰も、愛がなければここまで苦しまなかったかもしれない。
でも同時に、
愛がなければ、そもそもこの人たちはこれほど強く生きようともしなかった。
だから単純に、
「愛は素晴らしい」
とも、
「愛は危険だ」
とも言えない。
まとめ
『容疑者Xの献身』で一番印象に残ったのは、
愛の在り方
だった。
石神のトリックはすごい。
湯川との論理戦も面白い。
数学と感情の対比も美しい。
でも最後まで読んでみると、そのすべてを動かしていたものは愛だった。
愛によって石神は救われた。
愛によって自分の限界を越えた。
愛によって犯罪を犯した。
そして最後には、その愛によって作ったものすら崩れていった。
愛は人を救う。
でも、主観だけで大きくなりすぎれば、人を苦しめる力にもなる。
だから、
どこへ向けるのか。
どれくらいの重さで向けるのか。
そのバランスがとても重要なのだと思う。
でも、人間はいつも冷静にその重さを測れるわけではない。
愛によって自分の限界を越えられるからこそ、
越えてはいけない限界まで進んでしまうこともある。
それもまた、人間なのだろう。
『容疑者Xの献身』を読んで、自分にはそう感じられた。
愛は素晴らしい。
そして同時に、
愛は恐ろしい。
その両方を、これほど強く感じさせる作品だった。



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