伊坂幸太郎『重力ピエロ』を読んだ。
会話が多く、登場人物もそれほど多くないため、かなり読みやすい作品だった。
細かく節が区切られているので、少しずつ読み進めやすいのも良い。
一方で、個人的には全体として少し長く感じた。
もっと短くても良かったような気もするが、この細かな区切りがあるからこそテンポよく読めたとも言えるのかもしれない。
この作品を読んで最も考えたのは、裁きの質と量についてだった。
社会の裁きと、被害者の納得は一致しない
犯罪を犯せば、社会によって刑罰が与えられる。
懲役何年。
あるいは、それ以上の刑罰。
社会には一定の基準があり、その基準に従って人を裁く。
しかし、それによって被害者が納得できるかというと、まったく別の話だと思う。
個人的には、刑罰というものは基本的に社会の秩序を維持するための抑止システムだと思っている。
「ここを越えれば、こういう罰があります」
そう決めることで、人間の行動を一定の範囲に収める。
そして単純な報復ではなく、それを社会制度として成立させるために「更生」という考え方も存在しているのではないかと思う。
だから、そもそも刑罰には被害者を完全に納得させる機能などないのかもしれない。
何年罰しても、失った日常は戻らない
仮に刑罰がもっと重ければ納得できるのか。
自分はそうは思わない。
なぜなら、犯罪によって壊されたものは、刑罰の長さでは元に戻らないからだ。
それまで当たり前だった幸せ。
家族。
日常。
人生の見え方。
そういったものが、一つの犯罪によってその後すべて塗り替えられてしまうことがある。
行き過ぎた不幸は、ただの思い出にはならない。
時間が経って過去になったとしても、思い出すたびに嫌な感覚が蘇る。
もし記憶や心の傷、身体的な傷まで含めて、事件が起きる前の状態に完全に戻せるのであれば話は違う。
しかし現実にはできない。
だから被害者の納得を、刑罰の量だけで作ることはできないのだと思う。
自分で裁いても、過去は変わらない
では、社会の裁きで足りないのなら、自分で裁けば納得できるのか。
それも違う気がする。
もちろん私刑は犯罪になるため、やらない方がいい。
ただし感情の側面から見れば、「自分で裁きたい」と思うこと自体は理解できる。
社会が作ったルールと、個人の感情は別物だからだ。
『重力ピエロ』で描かれる行為も、何かを成し遂げたという達成感はあったのかもしれない。
あるいは「納得した」というより、気が済んだという表現のほうが近いのかもしれない。
しかし、それ以外は何も変わらない。
過去は戻らない。
事件そのものも消えない。
人生に刻まれたものも消えない。
社会的には許されない行為であっても、その感情の動き自体は、とても人間らしいものに感じた。
罪は本人のものでも、影響は本人だけでは終わらない
犯罪の影響が周囲へ広がることも当然だと思う。
人間のほとんどは、何かしらのコミュニティに所属している。
家族、友人、職場、地域。
一人の行為であっても、その人間に関係する多くの人が悲しみ、怒り、傷つく。
罪そのものを負うのは本人だとしても、その影響まで本人だけに閉じ込めることはできない。
だからこそ、犯罪の抑止というものは「自分が罰を受ける」という話だけではない。
その一線を越えれば、自分と関係する人間の人生にまで負の感情を広げてしまう。
そういう結果まで含まれているのだと思う。
生まれた命そのものに罪はない
一方で、この作品から強く感じたのが命に対する尊重だった。
命が生まれるまでの過程に大きな問題があったとしても、結果として生まれた一人の人間そのものに罪があるわけではない。
過程と命は別の話だ。
作中の父親には、特にそれを強く感じた。
もちろん心の中には複雑なものがあったはずだ。
それでも、
「母が生んだ大切な家族である」
という覚悟と誇りを持っているように見えた。
同情して受け入れているというより、一人の人間として尊重している。
どっしりと構えていて、ユーモアもある。
個人的には、この父親が作中で一番好きだった。
素晴らしい父親像のように感じた。
家族全員が「ピエロ」だったのかもしれない
タイトルにある「ピエロ」は、仮面のようなものにも思えた。
この家族は、誰も心の中にあるものをすべて表面には出していない。
母は本当は苦しいはずなのに、その苦しみをすべて見せるわけではない。
父も複雑な感情を抱えながら、家族としての覚悟でそれを塗り替えようとする。
泉水にも憎しみがあり、自分が手を下したいと思う部分があったとしても、それを普段の生活では表に出さない。
春も、自分を愛してくれる家族がいる一方で、自分が生まれた過程によって実の父親へと引っ張られている。
そう考えると、全員が何かしらの仮面をかぶったピエロだったとも言える。
しかし、それは必ずしも悪いことではない。
本音をすべてそのまま相手へぶつければ、人間関係は簡単に破綻する。
最低限の節度を守るために感情を制御する。
そのために人間には知性があるのだと思う。
ただ個人的には、家族くらいはなるべく本音を言い合える関係であってほしいとも思う。
重力から解放され、本当の重力へ戻る
「重力」という言葉からは、何か一つの事象に取りつかれ、それに引っ張られるような印象を受けた。
春にとっての重力は、自分が生まれた過程であり、罪を犯した実の父親だったのかもしれない。
本来であれば、自分を愛してくれる家族のいる場所こそが自分の立っている地面のはずだ。
しかし別の重力に引っ張られ続けている。
そこから自分なりの方法で解放された瞬間、一度その重力を失う。
そしてようやく、本来自分が立っていた場所へ戻ってくる。
過去の重力から解放されたことで、初めて本当の重力を感じられた。
そんな物語にも思えた。
まとめ
『重力ピエロ』は、ミステリーとしての物語以上に、裁きや家族について考えさせられる作品だった。
社会には社会の裁きがある。
しかし、それによって被害者の傷が消えるわけではない。
自分自身で何かを果たしたとしても、過去そのものが変わるわけでもない。
裁きには量がある。
しかし、失ったものと裁きの量を完全に釣り合わせることはできない。
それでも人間は社会のルールの中で生き、家族というコミュニティの中で互いを守りながら生きていく。
家族の愛。
家族でいるという意志。
そして命を守ることへの誇り。
細かく区切られた文章をテンポよく読める人や、家族という輪を大切だと感じられる人には、特に読みやすい作品だと思う。



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